2025年3月27日木曜日

25.03.20-22 熊本

 今回は初めての熊本へ。

まずは明治から続く芝居小屋 八千代座へ。

八千代座は明治43年(1912)年に竣工し明治44年に松島家一行による大歌舞伎でこけら落としがされました。

活動写真や演奏会、映画の上演などもされていたそうです。

昭和40年代には市民の娯楽が多様化したことで人々は芝居小屋に行かなくなり、経営不振に陥り閉鎖され老朽化が進みました。

昭和61年に復興会が発足し「瓦一枚運動」などの募金活動により修繕され昭和63年に国の重要文化財に指定。

平成8年からは平成の大修理が行われ平成13年春に2度目のこけら落とし公演を迎えました。

特徴の一つが建築当時の天井広告画とシャンデリア

座席は升席に3~4人かけることができ、現代人で600人くらい収容できるらしいです。
建築当時は現代人より一回り小さかったので、升席は8人掛けで収容人数も現在の倍入っていたそうです。
舞台裏には現在は使われていない楽屋、浄瑠璃を演奏するちゃぼ床、幕を吊ったり、雪や花吹雪を降らせるぶどう棚、大道具、小道具部屋があります。
奈落に降りると、回り舞台を動かすレールとすっぽんがあります。
楽屋
ちょぼ床、ぶどう棚、小道具部屋
大道具部屋、回り舞台、すっぽん

当時の一番いい席とされているところから眺めてみました。

役者が出てくる花道と舞台全体が見渡せます。


八千代座の周辺には旧銀行や石門など歴史も感じられました。

旧安田銀行山鹿支店跡
大正14年(1925)建設された山鹿の洋風建築第1号

金剛上寺石門
文化元年(1804)制作のめがね橋築造技術を活かした石門


次は、世界遺産の炭鉱跡 万田坑へ

万田坑は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる三池炭鉱の20世紀初頭を代表する坑口。

明治35年(1902)に開かれ、明治41年には採掘した石炭を三池港へ運ぶための鉄道が開通。

昭和26年(1951)に石炭採掘の役割を終え、平成9年(1997)の閉山まで主に坑内の排水をする役割を担っていました。

倉庫及びポンプ室(旧扇風機機械室)

扇風機機械室には浴室、安全燈室があります。
浴槽、安全燈室
第二竪坑坑口、第二竪坑櫓
安全燈室を抜けると第二竪坑櫓の真下に抜けます。
第二竪坑巻揚機械室にはジャックエンジンと巻揚げ機が設置されています。
この機械が第二竪坑櫓につながっており、第二竪坑から人を昇降していました。

万田坑の第一竪坑で採掘された石炭を選炭場で分けて、炭鉱電車で三池港などに運搬されていました。
三池炭鉱専用鉄道と炭鉱電車

万田坑の電化を推進した発電所もあります。

大正時代に建てられたレンガ造でコンクリート塗の建物です。

配電所(変電所)
昭和初期に建設された坑内で使用する機械類の修理や工具を作るための修繕工場も残っています。
職場(修繕工場)


事務所

大正3年(1914)建設当時は坑内の換気を行う扇風機室でしたが、昭和26年(1951)の万田坑閉抗後からは1Fは更衣室、2Fは事務所と監視室として利用されていました。


1日目最後は熊本城

閉館ギリギリでしたが、観光客が大勢。

熊本城は天正16年(1588)に加藤清正が肥後北半国の領主として隈本城に入ったことからはじまります。

慶長4年(1599)に茶臼山に新城の築城を着手

慶長5年に大天守が完成しました。

明治10年(1877)に西南戦争直前の火災で焼失。

昭和35年(1950)に鉄骨鉄筋コンクリートで天守を再建しますが、平成28年の熊本地震で石垣の崩落や建造物の倒壊など被災。その後復旧工事を経て令和3年に天守閣の復旧が完了しました。

天守以外は現在も熊本地震の復旧工事中です。


夕食は熊本城近くで熊本名物の太平燕。

あっさりしていておいしかったです。

近くのくまモンスクエニも寄ってきました。


くまモングッズがたくさんです。

熊本城の駐車場に戻る途中で、くまモン人形焼きを購入

モチモチの皮でおいしかったです。

1日目は八代市のホテルで一泊。


2日目は天草地域へ。

まずは八代市のくまモンポートでくまモンを愛でて・・・、





途中、天草四郎資料館へ。

天草四郎はキリスト教迫害と年貢負担による生活困窮に反発して勃発した島原天草一揆の首領です。

一揆勢37000人が原城で籠城し幕府軍に抵抗。

最終的には兵糧攻めにより食料、武器などの物資が底を付きかけ、幕府軍の総攻撃により皆殺しになり沈静化されました。

この一揆以降、幕府はキリスト教に対し疑心暗鬼になり、鎖国政策とキリスト教の禁教令の強化を行うきっかけになったとされています。


昼は近くの道の駅で天丼。

天草地方の端、崎津の崎津教会へ。

続いて大江教会へ

この地ではキリスト教禁教令の中、文化2年(1805)に起きた隠れキリシタンの検挙事件「天草崩れ」のあった地です。
先述の島原天草一揆以降、禁教令が厳しくなり、表向きは仏教などを信仰しつつ隠れてキリスト教を信仰続けていました。たとえば人目を避けるために隠し部屋でオラショ(祈り)をささげたり、仏像や土人形に十字を掘ったり、マリア観音を作ったり、鏡などを信仰の対象にして密かに信仰を伝えていったようです。
最終的に明治6年(1873)に禁政教令が解除され、多くの信者がキリスト教信仰に復帰しました。

天草地方のもう一つの世界遺産三角西港へ。

ここは明治日本の産業革命遺産の一つで、明治20年に開港し当時の遺構、建造物が現存する港町です。


開港当時の石積みが残る水路

龍驤館
大正7年(1918)明治天皇即位50周年を記念して建てられた記念館


浦島屋

倉庫

旧高田回漕店

三角簡易裁判所


旧宇土郡役所
明治35年に宇土郡役所として建設された擬洋風建築
現在は海技学院施設として使用


2日目は熊本市内のホテルで1泊。

夕食は熊本ラーメンにしました。

博多の豚骨ラーメンの派生みたいなイメージでしたが、豚骨臭さもなく、麺も太めでおいしかったです。


3日目

放流が人気の通潤橋によりつつ(放流されてませんでした・・・。)

通潤橋

高千穂峡へ。こちらも人生初宮崎です。

高千穂峡は阿蘇溶岩の浸食谷で名勝天然記念物です。

また熊本県に戻り、阿蘇山へ。

頂上付近まで車でいけますが、ちょっとガスってる感じ。

展望台から写真だけ取って退散。

最近はまっているビーバーに会いに阿蘇ファームランドへ。

まずは昼食。レストランで赤牛のハンバーグを頂きました。

きのこ推しのレストランなので、きのこがたっぷりです。


お目当てのふれあい動物大国へ。
13:00ですが、ビーバーはまだ巣の中らしくまだ出てきていません。
一匹だけ小屋の中でカピバラと一緒にいました。


餌を購入して、ニンジン、キャベツをあげながら撫でてみました。
思ったより硬い毛でした。カピバラよりは柔らかいかな。
13:30くらいからビーバーの散歩がはじまり、ビーバーたちが小屋に集まってきました。
エサ入りコップに興味しんしん

かゆ~い


しっかりビーバーたちと触れ合えたので、ちょっと早めに空港へ。

予定より2時間ほど早く到着できました。

出発までに夕食で馬肉の焼肉を頂きました。

あっさりしていておいしかったです。しっかり熊本名物を味わえました。

あとはお土産を買って、ラウンジで時間つぶし。

夜に無事帰宅できました。