2017年7月12日水曜日

17.06.25-26 ハワイ3日目、4日目

ハワイ3日目はオプショナルツアーで夕方までパールハーバーへ。

パールハーバーは戦時中に日本が真珠湾攻撃を行い、
太平洋戦争が始まった場所です。

まずは海軍基地内の航空博物館へ。

Pacific Aviation Museum
太平洋戦争からベトナム戦争で活躍した戦闘機が展示されています。

1つ目の格納庫は太平洋戦争時の戦闘機
格納庫1(受付とミュージアムショップ併設)
零戦
零戦は正式名称21型航空母艦搭載用零式戦闘機。
エンジンは950馬力の中島飛行機製 栄 12型
装備は機首に7.7ミリ機関銃2丁、主翼に20ミリ機関砲2丁
高光度爆撃用爆弾、木製安定板付き魚雷
正照準弾頭
こちらは真珠湾攻撃で使用された日本の爆弾の模型
写真左の高高度爆撃用爆弾は米戦艦の甲板を貫くように開発された爆弾。
この爆弾で戦艦アリゾナも撃沈されました。
中央の木製安定板付き魚雷は浅瀬のハワイ沖で魚雷攻撃が可能になるように開発され
戦艦オクラホマをはじめほとんどの戦艦がこの爆弾で沈・大破されました。
右の正照準弾頭は主に軍施設や軍用機の爆撃に使用されました。
B-25B
B-25は日本の首都を爆撃する秘密作戦のために開発された中型爆撃機。
ノースアメリカン航空航空機製作。
50口径機関銃4丁と30口径機関銃1丁を装備
ライト社製14気筒エンジン、サイクロンRー2600ー9型 1700馬力を2基搭載

グラマン F4F-3 ワイルドキャット
航空母艦搭載用の単座戦闘機
エンジンはブラット&ウィットニー社製 1200馬力 R1830-86 星型エンジン搭載

ボーイング ステアーマン N2S-3/PT17 ケイデット
この機体は第二次世界大戦時に最も多く生産された、飛行訓練機。
鮮やかな黄色の塗装から、黄色い危険物というニックネームが付けられていたそうです。
後のアメリカ大統領ブッシュ大統領も海軍パイロットの訓練で乗りました。

管制棟とF-105G
塔は太平洋戦争時から使用されている管制棟。
その前にはF-105Gが展示されています。

格納庫の外にも多くの戦闘機が展示されています。
①CH-53D ②マクゴナル ダグラス F-15A イーグル ③リパブリック RC-3 シービー 
④セスナ O-2A ⑤F-14D トムキャット ⑥F-86L セイバー
マクゴナル ダグラス F-15A イーグルはベトナム戦争時に
全天候型制空戦闘機としてF-4ファントムIIを改良し開発。
警告表示装置やパルスドップラーレーダーなど当時の最新鋭装備も搭載。

F-14D トムキャット は1974年から2006年まで
米海軍で使用された超音速複座式戦闘機

F-86L セイバーは米空軍で初めて、ロケット弾を装備した機体だそうです。


2つ目の格納庫には太平洋戦争後の戦闘機が展示されています。
格納庫2
①ダグラス SBD-5 ダントレス
②ミコヤン・グレイヴィッチ ミグー15 ファゴット ノースアメリカン F-86E セイバー
③ノースアメリカン F-100F スーパーサブレ ④ミグー21PF フィッシュベッド
⑤ロッキード T-33A シューティングスター ⑥ダグレス C-47 スカイトレイン/ダコタ
⑦ノースロップ F-5A フリーダムファイター ⑧ロッキード F-104A スターファイター
⑨カーチス P-40E ウォーホーク

ミコヤン・グレイヴィッチ ミグー15 ファゴットはソ連の高性能戦闘機。
北朝鮮などにも供給されたそうです。
ノースアメリカン F-86E セイバーは朝鮮戦争でソ連のミグー15に対抗し
活躍した機体だそうです。

カーチス P-40E ウォーホーク
世界大戦時の1941年に中国の支援を行う米軍部隊 アメリカ合衆国義援軍(AVG)が
結成され、この部隊はフライング・タイガーの愛称で知られています。
主に、アジア地域で活動している米軍の支援にあたっていたようです。
フライングタイガーのマーク

バスで次の目的地、戦艦ミズーリへ

戦艦ミズーリ
戦艦ミズーリ
アメリカが最後に建造した世界最大の戦艦。

戦艦ミズーリの説明を簡単に。
1941年1月6日に造船開始し1944年1月29日に進水
全長:270.4m
幅:33m
高さ:63.9m
最大速力:33ノット
クラス:アイオワ級
主砲:口径40.6cm(10砲塔9門)
上)主砲(艦首側) 下)主砲(艦尾側)

副砲:口径12.7cm(10砲塔20門(建設時))
         (6砲塔12門(近代化後))
機関砲:CIWS(4基)
ミサイル:トマホーク巡航ミサイル(32基(近代化後))
     ハープーン対艦ミサイル(16基(近代化後))
トマホーク巡航ミサイルとハープーン対艦ミサイル

1945年4月11日には神風特攻隊機が右舷艦尾付近に衝突

その際に亡くなった日本兵を当時の艦長ニミッツ艦長が
部下に葬式を行うように指示をしたそうです。
反対した部下に、死亡した日本兵も国の命令で勇敢に戦ったのだから
敬意をもって葬式を行わなければいけないと伝えたそうです。
葬式が行われた場所
足跡の場所で葬式が行われました。

想像以上に艦への損傷がないことから
当時の日本の航空機が材料不足で弱い造りだったこと、
如何に無意味な作戦だったかが分かります。

この戦艦が1945年9月2日に東京湾に来て、
日本が降伏文書に調印を行い太平洋戦争が終結しました。
上)調印テーブル跡 と記念プレート
下)調印文書 右が日本の控
ちなみにこの時、調印文書に連合国軍の各国代表が署名をしているのですが
日本に渡す調印文書でカナダ代表が間違って署名をしてしまったそうです。

日本側の控えの調印文書には訂正跡が残されています。

1950年代の朝鮮戦争で活躍後の1955年2月26日に退役しますが、1986年に復役します。
この時に近代化兵器への改修が行われ、トマホーク巡航ミサイルと
ハープーン対艦ミサイルが搭載されました。
1991年の湾岸戦争に出撃した後、1992年3月31日に再退役。
ちなみに湾岸戦争時に最初のトマホークミサイルを放ったのがミズーリだそうです。
湾岸戦争の船からの戦闘映像もほとんどがミズーリから撮影されたものだそうです。

1999年から記念館として公開されています。

戦艦ミズーリのすぐ先には、真珠湾攻撃沈没し最大の死者を出した
戦艦アリゾナを弔うアリゾナ記念館があります。
アリゾナ記念館
戦艦ミズーリ見学後に昼食。カレーでした。
昼食のカレー
ジャガイモが大きい・・・。

戦艦ミズーリのエントランス近くには真珠湾攻撃で
戦艦アリゾナの次に多数の死者を出した戦艦オクラホマの戦死者の墓地となっています。
戦艦オクラホマ戦死者の碑

また、バスで移動し、次は軍基地の外にある太平洋戦争記念館へ。

ここには真珠湾攻撃に関する展示と太平洋戦争で使用された兵器が展示されています。
ここからアリゾナ記念館へ船で向かいます。

真珠湾攻撃
1941年12月7日8時頃(ハワイ時間)日本軍の奇襲攻撃により
ハワイの米軍海軍基地を次々に爆撃。
停泊中の戦艦アリゾナに着弾した爆弾が、火薬庫での誘爆を引き起こし
乗組員を含め1177名が死亡。内約1000人は誘爆による即死だったそうです。
近くに停泊中の戦艦オクラホマも転覆沈没。456名が死亡
第一波攻撃で、米軍艦2隻が撃沈し、3隻が大破。
約1時間後に第二波攻撃を行い、最終的に戦艦3隻を完全損失、
5隻を沈没し行動不能にしました。
後に、完全損失した3隻以外は引き上げられ、大修理されて戦線復帰しています。
この攻撃により、日本はアメリカに宣戦布告。太平洋戦争がはじまります。
大日本帝国 航空母艦赤城の模型

当時、ハワイは完全な要塞とされアメリカ海軍は日本の攻撃の予兆を察していたものの、
最強の要塞が崩されるとは考えておらず、日本の奇襲攻撃が成功したようです。
また、日本は真珠湾攻撃に向け、当時の魚雷の常識を覆す新型魚雷を開発して臨むなど
大国相手に完璧な計画を立てていた様です。
日本が使用した爆弾

結果的には奇襲攻撃は成功したものの、本来の目的は主力空母の撃破だったらしく、
その目的は達成できず、後々、米主力空母に苦しめられる結果にもなったようです。

しかし、この真珠湾攻撃により、日本の戦術が評価され従来は艦隊の補助的な役割だった
航空隊が主役になる戦術へ切り替わったポイントになったようです。

翌日に、ルーズベルト大統領が演説を行い、日本と開戦したことを宣言しました。

戦艦アリゾナの沈没地点の真上にはアリゾナ記念館が建てられ、
記念館と戦艦アリゾナが十字架になるように配置され
戦艦アリゾナで戦死した人々を弔う記念館となっています。

日本は空襲や原爆で自国が受けた被害については詳しく勉強していますが
アメリカをはじめ、中国・朝鮮などのアジア諸国に行ったことは
ほとんど学んでいないと思います。
この場所を訪れて、日本がアメリカに対して行ったことを知り、
考えるきっかけになりました。
戦争は勝っても、負けても得るものより、失うものが多いことを改めて実感しました。
沈没した戦艦アリゾナとアリゾナ記念館の模型
左上)園内のミサイル 右上)人間魚雷
下)ボーフィン SS-287 疎開中の学生を乗せた対馬丸を沈没させた潜水艦

オプショナルツアーが終了しホテルに戻ったのが16時頃。
それからお土産の購入へ。
連日の疲れのせいか、ゆっくり回る気力もなくなり
自分でもびっくりするほど購買意欲もわかず、お土産は少なめになりました。

4日目はチェックアウトをして帰宅の途へ。
デルタ機
ホノルル空港のロビーで搭乗する飛行機のピットインに遭遇。

帰りのフライトは約8h。時差ぼけ防止の為、映画などを見て過ごしました。
17時頃にセントレアに到着し、20時前に帰宅。
初めての長時間フライトと海外の異文化に触れて
かなり疲れた旅行でした。
無事に帰ってこれたことが何よりです。

2017年7月9日日曜日

17.06.24 ハワイ2日目

ハワイ2日目は、旅行会社のオプショナルツアーに参加。

アトランティス・サブマリン・アドベンチャー
潜水艦で海に潜って、ハワイの海を見学するツアーです。
船に乗船して、潜水ポイントへ。海から眺めるワイキキは絶景です。
ワイキキビーチ

サブマリン
こちらの潜水艦で海へダイブ!
左下)ピラミッド 右上から)ys-11,セント・ペドロ,アオウミガメ
潜るとダイバーがいました。

ピラミッドと呼ばれるコンクリート製人口漁礁や
戦後初の日本国産旅客機のYS-11(三菱製)や韓国漁船セント・ペドロ号が
漁礁として多くの魚の住処になっています。ウミガメも見れました。

写真では分かりにくいですが、たくさんの魚を見ることができ、感動しました。
このような美しい海は大切に保護していきたいですね!

昼はバスの待ち時間で軽食。名物のスパムおにぎりにしました。
スパム&エッグむすび
 お米も日本のお米に近く、こちらに来て初めてまともな味の様な気がします。

ツアー後はハワイ最大の博物館、
ビショップミュージアムを目指しバスで最寄り駅へ。

徒歩30minくらいで到着。


ビショップミュージアム
ビショップミュージアム
ハワイアン・ホール本館
 ハワイアンホール本館は1899年に建設がはじまり、1903年に完成。
クリントン・リプレイ、チャールズ・ディッキーが
ロマネスク様式を用いたデザインを担当

1903年オープン時には電気がなく、天井の明り取りと窓からの自然光を
使用していたそうです。2009年に復元工事が終了しました。

3つの階のキャビネットにはハワイの木材「コア」が用いられています。
ハワイアンホール建築工事費の半分以上の値段がかかっているそうです。


ハワイアンホール
3つのフロアーはハワイアンの世界における「ワオ 領域」をあらわしています。
ハワイアンホール
1階はカイ・アケア(広大な海)を意味し、島々の誕生や神々の住む世界示しています。
2階はワオ・カナカ(人々と暮らしの領域)でハワイアンの人々の生活の
営みに関する展示
3階はワオ・ラニ(天の領域)でビショップミュージアムの創設者の遺品や
ハワイ王朝の遺品などが展示されています。

1階
右上)クーの神像 左下)ハレ・ピリ 
右下)モクマナマナ キイ(モクマナマナ島で見つかったキイポハク(玄武岩の石像))

 ハワイの人々は生活において4万の神々が見守っていると信じており
その中でもクー、カネ、ロノ、カナロアは地位の高い4神とされています。
特に戦いの神・軍神のクーは様々な役割を持ち崇拝されていたそうです。

ハレ・ピリはハワイの伝統的な草葺きの家屋。
ピリの葉と縄を用いて復元されたものです。


2階
左上)ワ・ア 右上)ワ・ア・カウルア
左下)釣り針 右下)ルーヘエ
 ワ・アは浮きのあるカヌー。速度が速く安定性が高いことが特徴。
ハワイは大きな木に恵まれており、コアの丸太一本をくりぬいて
カヌーを作ったそうです。

これを応用しハワイでは双胴船「ワ・ア・カウルア」が多く作られており
多くの人や物資を運ぶことができることから大型のものは
主に航海用に使用されています。

ハワイの漁師は魚の種類や習性に応じて特殊な釣り針を生み出し
釣りの技術を上げてきたそうです。

 ルーヘエはタコを釣るために作られたルアーで
コヤスガイに石の錘や木片、とがった返しなどがついています。

3階
①パアキイ ②アフウラ ③アウフラ ④クイ・パラオア ⑤リリウオアカラニのギター

 パアキイは肉料理などを盛り付ける大皿。
1780年頃、マウイ島の王カヘキリはカハアナ王を倒し、オワフ・モロカイの
3つの島を納める王に。
この大皿は敗北したカハハナ王とその妻が
勝者のカヘリキ王の食べ物を支えるデザインだそうです。
この十年後ハワイ島の曹長カメハメハがマウイ・オアフ・モロカイを
制覇し、この大皿が戦利品となったそうです。

 アフウラはハワイの鳥の羽で作られたケープ。
羽根を使用する鳥の飛ぶ高度が地位の高さを表すとされ
高い位置を飛ぶ、赤色の鳥イイヴィや黄色い鳥オーオー、マモは
地位の高い階級で使用されるそうです。
展示されているケープは茶色と黒色で光沢のあるニワトリの羽が使用されており
首のライン貴重な赤や黄色の羽が使用されています。
このケープは1778年から79年にキャプテンクックがハワイから
イギリスに持ち帰ったもので通称クック・ケープと呼ばれています。

②は1823年友好関係強化の為に訪れたイギリスでカメハメハ二世とカママル王妃が
麻疹に感染し1824年7月に亡くなった際、亡骸を移送した移送船の船員が
ハワイ王国にもてなされ、摂政カアフマヌが船員の一人で博物学者の
牧師アンドリュー・ブロクサムに送ったイイヴィの赤い羽根と
オーオーの黄色い羽根で作られたマント「アウフラ」

クイ・パラオアはカメハメハ大王が所有していたとされる象牙のすり鉢。
薬を作るために使用されたそうです。
象牙を持つことは神聖なこととされ、象牙の持つ特別な力が
薬効を高めると考えられていました。

⑤は1878年にリリウオアラカニ女王が「アロハ オエ」を
作曲した際に使用されたギター。
上流階級の女性として音楽を学び、音楽の才能が開花。
ピアノなどの西洋楽器とハワイ語と堪能だった英語を使い
西洋とハワイアンが融合したスタイルを生み出しました。
ハワイのキルト旗、デュークのサーフボード
 デューク・カハナモクは1890年ハワイに生まれ、
水泳の名手、サーファー、オリンピック選手、映画スターなどで高い人気を誇った人物。

このデュークが使用していたサーフボードは木製で重さ34kgで
サーフボードの革新者トム・ブレイクが作成したものだそうです。
カピヘの予言
カメハメハ大王の時代にカピヘは次のような予言を残したそうです。
上から降りてくるものがあれば
下に立ち上がるものがある
島は統一され、その壁は倒されることはない。

これはハワイ王国の崩壊を予言したものといわれています。

2005年に この予言を表現しようとアーティスト メレアンナ・アルイ・マイヤー
が呼びかけ、20人以上のハワイの子どもたちとアーティストが10週間かけ
この壁画を完成させました。

パシフィックホール(ハワイアンホール内)
①②太平洋の諸島で使用されている船 ③太平洋の諸島に伝わる人形など
④タヒチの民族衣装 ⑤VOICES OF THE ANCESTORS
①ナ・ウル・カイヴィウラ・ネイティブ・ハワイアン・ガーデン
②リチャード・マミヤ・サイエンス・アドベンチャーセンター
③ビショップ・ホール ④キャッスル記念館

思ったよりは小さな博物館でした。
QRコードを読み取って日本語解説が聞けるのですが、
ほとんどQRコードがなくいまいちよく分からず。
また、QRコードの読み取りに追われしっかり時間も取れず・・・。
次の予定もあったので、90minくらいで出てしまいました。
もう少し時間を取りたかったな・・・。
後でわかったことですが、一日4回日本語ガイドをしている様です。
約30minなら参加すればよかった・・・。

次の目的地イオラニ宮殿へ。
イオラニ宮殿
音声ガイドがあると聞いていましたがチケットが購入できず
一般公開されている地下1階のみ見学。
地下は主に食糧庫でした。それ以外に王政時代の遺留品が展示されていました。

ハワイ州庁舎

カワイアハオ教会

セント・アンドリュース大聖堂

バスで、ハワイ最大のショッピングモール アラモアナショッピングモールへ。
途中、壁画アートが有名な、カカアコ地区を通過。
カカアコ地区

アラモアナ・ショッピングモール
アラモアナ・ショッピングセンター

夕食は地元名物のガーリックシュリンプ。
ガーリックシュリンプ
相変わらず味が濃く、クドい・・・。
コーラを注文しましたが、日本に比べて甘い様な・・・。
食事はイマイチ・・・。

お土産を購入してホテルへ戻りました。

2017年7月7日金曜日

17.06.23 ハワイ1日目

会社の休みを使ってハワイ旅行。
23日の夕方の便でセントレアからハワイへ向かいます。

セントレアスカイデッキで飛行機が行き交うのを眺めていたら
搭乗する飛行機が着陸してきました。
到着直後のデルタ便
こちらのデルタ便で約7時間のフライトでした。
真ん中の席だった為、フライト中身動きが取れず、
ハワイ到着時には体中が痛い・・・。
ハワイ到着は現地時間の8時頃。日本では深夜2時。
フライト中寝ていたとは言え、やはり眠い。

ホテルには10時頃に到着し
午後から市内観光のツアーに参加する為、空き時間で周辺をぶらり。
INTERNATIONAL MARKET PLACE

ワイキキビーチ


時間になりツアースタート、ガイドの方がいろいろと説明してくれました。
まずは最初の目的地、アロハタワーへ。

アロハタワー
アロハタワー
ハワイ港の管制棟として使用され、周辺は以前はショッピングモールだったそうです。
しかし、付近の交通の便のいい場所に大きなショッピングモールができ、次第に衰退。
現在は、ハワイ大学のキャンパスの一つとして活用されています。

アロハタワー周辺で昼食。
味が濃く、独特な味付けがいまいち口に合わず・・・。
また、おかずがすべて肉類・・・。
デザートのパイナップルが一番おいしい。
アロハタワー
1926年に創立された、タワー。エレベーターで10階の展望台まで登ることができます。
エレベーターも老朽化しており、乗れる人数も制限されています。
展望台からの眺めはきれいでした。
アロハタワー展望台からの眺望

周辺には博物館も、

古い船もあります。


次はダウンタウン方面へ。
ダウンタウンはハワイ州の官庁街や銀行の本店が並ぶビジネス街です。
その周辺には大型のショッピングモールがあります。

ダウンタウンを抜けて、ヌアヌ・パリ展望台へ。
ヌアヌ・パリ展望台
ヌアヌ・パリはカメハメハ大王がハワイ諸島を統一した際に最終戦場となった場所。
ヌアヌは現地の言葉で「涼しい」、パリは「峠」を現し、
強風が多い風の名所として知られています。
展望台からの眺望
展望台からはオアフ島の東海岸が一望でき、絶景でした。
ホントに風が強い!

ちなみにこの付近は手つかずの自然が多くジャングルに見立てて
ドラマや映画の撮影が行われていたそうです。

次は国立記念墓地「パンチボール」へ。
火山の火口に作られた墓地で太平洋戦争などで戦死した兵隊の墓地だそうです。

またダウンタウンへ戻り、カメハメハ大王像を見学し、ホテルへ。
カメハメハ大王とイオラニホール
夕食はショーを見ながらディナー。
食事のクドさに久しぶりに残しました・・・。

移動の長さもあり、かなり疲れた一日でした。