パールハーバーは戦時中に日本が真珠湾攻撃を行い、
太平洋戦争が始まった場所です。
まずは海軍基地内の航空博物館へ。
Pacific Aviation Museum
太平洋戦争からベトナム戦争で活躍した戦闘機が展示されています。
1つ目の格納庫は太平洋戦争時の戦闘機
格納庫1(受付とミュージアムショップ併設) |
零戦 |
エンジンは950馬力の中島飛行機製 栄 12型
装備は機首に7.7ミリ機関銃2丁、主翼に20ミリ機関砲2丁
高光度爆撃用爆弾、木製安定板付き魚雷 正照準弾頭 |
写真左の高高度爆撃用爆弾は米戦艦の甲板を貫くように開発された爆弾。
この爆弾で戦艦アリゾナも撃沈されました。
中央の木製安定板付き魚雷は浅瀬のハワイ沖で魚雷攻撃が可能になるように開発され
戦艦オクラホマをはじめほとんどの戦艦がこの爆弾で沈・大破されました。
右の正照準弾頭は主に軍施設や軍用機の爆撃に使用されました。
B-25B |
ノースアメリカン航空航空機製作。
50口径機関銃4丁と30口径機関銃1丁を装備
ライト社製14気筒エンジン、サイクロンRー2600ー9型 1700馬力を2基搭載
グラマン F4F-3 ワイルドキャット |
エンジンはブラット&ウィットニー社製 1200馬力 R1830-86 星型エンジン搭載
ボーイング ステアーマン N2S-3/PT17 ケイデット |
鮮やかな黄色の塗装から、黄色い危険物というニックネームが付けられていたそうです。
後のアメリカ大統領ブッシュ大統領も海軍パイロットの訓練で乗りました。
管制棟とF-105G |
その前にはF-105Gが展示されています。
格納庫の外にも多くの戦闘機が展示されています。
①CH-53D ②マクゴナル ダグラス F-15A イーグル ③リパブリック RC-3 シービー
④セスナ O-2A ⑤F-14D トムキャット ⑥F-86L セイバー
|
全天候型制空戦闘機としてF-4ファントムIIを改良し開発。
警告表示装置やパルスドップラーレーダーなど当時の最新鋭装備も搭載。
米海軍で使用された超音速複座式戦闘機
格納庫2 |
北朝鮮などにも供給されたそうです。
ノースアメリカン F-86E セイバーは朝鮮戦争でソ連のミグー15に対抗し
活躍した機体だそうです。
世界大戦時の1941年に中国の支援を行う米軍部隊 アメリカ合衆国義援軍(AVG)が
結成され、この部隊はフライング・タイガーの愛称で知られています。
主に、アジア地域で活動している米軍の支援にあたっていたようです。
フライングタイガーのマーク |
戦艦ミズーリ
戦艦ミズーリ |
戦艦ミズーリの説明を簡単に。
1941年1月6日に造船開始し1944年1月29日に進水
全長:270.4m
幅:33m
高さ:63.9m
最大速力:33ノット
クラス:アイオワ級
主砲:口径40.6cm(10砲塔9門)
上)主砲(艦首側) 下)主砲(艦尾側) |
(6砲塔12門(近代化後))
機関砲:CIWS(4基)
ミサイル:トマホーク巡航ミサイル(32基(近代化後))
ハープーン対艦ミサイル(16基(近代化後))
トマホーク巡航ミサイルとハープーン対艦ミサイル |
その際に亡くなった日本兵を当時の艦長ニミッツ艦長が
部下に葬式を行うように指示をしたそうです。
反対した部下に、死亡した日本兵も国の命令で勇敢に戦ったのだから
敬意をもって葬式を行わなければいけないと伝えたそうです。
葬式が行われた場所 |
想像以上に艦への損傷がないことから
当時の日本の航空機が材料不足で弱い造りだったこと、
如何に無意味な作戦だったかが分かります。
この戦艦が1945年9月2日に東京湾に来て、
日本が降伏文書に調印を行い太平洋戦争が終結しました。
上)調印テーブル跡 と記念プレート 下)調印文書 右が日本の控 |
日本に渡す調印文書でカナダ代表が間違って署名をしてしまったそうです。
1950年代の朝鮮戦争で活躍後の1955年2月26日に退役しますが、1986年に復役します。
この時に近代化兵器への改修が行われ、トマホーク巡航ミサイルと
ハープーン対艦ミサイルが搭載されました。
1991年の湾岸戦争に出撃した後、1992年3月31日に再退役。
ちなみに湾岸戦争時に最初のトマホークミサイルを放ったのがミズーリだそうです。
湾岸戦争の船からの戦闘映像もほとんどがミズーリから撮影されたものだそうです。
1999年から記念館として公開されています。
戦艦ミズーリのすぐ先には、真珠湾攻撃沈没し最大の死者を出した
戦艦アリゾナを弔うアリゾナ記念館があります。
アリゾナ記念館 |
昼食のカレー |
戦艦ミズーリのエントランス近くには真珠湾攻撃で
戦艦アリゾナの次に多数の死者を出した戦艦オクラホマの戦死者の墓地となっています。
戦艦オクラホマ戦死者の碑 |
ここには真珠湾攻撃に関する展示と太平洋戦争で使用された兵器が展示されています。
ここからアリゾナ記念館へ船で向かいます。
真珠湾攻撃
1941年12月7日8時頃(ハワイ時間)日本軍の奇襲攻撃により
ハワイの米軍海軍基地を次々に爆撃。
停泊中の戦艦アリゾナに着弾した爆弾が、火薬庫での誘爆を引き起こし
乗組員を含め1177名が死亡。内約1000人は誘爆による即死だったそうです。
近くに停泊中の戦艦オクラホマも転覆沈没。456名が死亡
第一波攻撃で、米軍艦2隻が撃沈し、3隻が大破。
約1時間後に第二波攻撃を行い、最終的に戦艦3隻を完全損失、
5隻を沈没し行動不能にしました。
後に、完全損失した3隻以外は引き上げられ、大修理されて戦線復帰しています。
この攻撃により、日本はアメリカに宣戦布告。太平洋戦争がはじまります。
大日本帝国 航空母艦赤城の模型 |
最強の要塞が崩されるとは考えておらず、日本の奇襲攻撃が成功したようです。
また、日本は真珠湾攻撃に向け、当時の魚雷の常識を覆す新型魚雷を開発して臨むなど
大国相手に完璧な計画を立てていた様です。
日本が使用した爆弾 |
その目的は達成できず、後々、米主力空母に苦しめられる結果にもなったようです。
しかし、この真珠湾攻撃により、日本の戦術が評価され従来は艦隊の補助的な役割だった
航空隊が主役になる戦術へ切り替わったポイントになったようです。
翌日に、ルーズベルト大統領が演説を行い、日本と開戦したことを宣言しました。
戦艦アリゾナの沈没地点の真上にはアリゾナ記念館が建てられ、
記念館と戦艦アリゾナが十字架になるように配置され
戦艦アリゾナで戦死した人々を弔う記念館となっています。
日本は空襲や原爆で自国が受けた被害については詳しく勉強していますが
アメリカをはじめ、中国・朝鮮などのアジア諸国に行ったことは
ほとんど学んでいないと思います。
この場所を訪れて、日本がアメリカに対して行ったことを知り、
考えるきっかけになりました。
戦争は勝っても、負けても得るものより、失うものが多いことを改めて実感しました。
沈没した戦艦アリゾナとアリゾナ記念館の模型 |
左上)園内のミサイル 右上)人間魚雷 下)ボーフィン SS-287 疎開中の学生を乗せた対馬丸を沈没させた潜水艦 |
それからお土産の購入へ。
連日の疲れのせいか、ゆっくり回る気力もなくなり
自分でもびっくりするほど購買意欲もわかず、お土産は少なめになりました。
4日目はチェックアウトをして帰宅の途へ。
デルタ機 |
帰りのフライトは約8h。時差ぼけ防止の為、映画などを見て過ごしました。
17時頃にセントレアに到着し、20時前に帰宅。
初めての長時間フライトと海外の異文化に触れて
かなり疲れた旅行でした。
無事に帰ってこれたことが何よりです。
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