2025年4月30日水曜日

25.04.26-28 福島

 今回は初めての福島県へ。

クロモリの整備後初の輪行です。

先回の輪行時に輪行袋が破れてしまったので、輪行袋も新調しました。

新幹線で始点の郡山駅へ。

乗車した東北新幹線はディズニーのファンタジースプリングスのラッピングでした。

発着メロディーもエリアにちなんでアナ雪のLet it goでした。

郡山駅にはお昼に到着。まずは昼食へ。

ご当地グルメの郡山グリーンカレーを頂きました。

郡山市で採れた野菜を使っているみたい。

まずは本日の宿泊地猪苗代湖を目指します。

途中、野口英世の功績を記念した野口記念館へ。

野口英世が有名なのはもちろん知っていましたが、世界的に有名な人物だったとは。

敷地内には野口英世の生家も


1歳のときにこの囲炉裏に落ちて手に大火傷を負い、その後手術により左手の機能がわずかに回復。このことが医師を目指すきっかけになったそうです。

医師になるため上京を決意した野口英世が家の柱に刻んだ文字も残されています。

感染症のミュージアムも見てきました。最近の新型コロナCOVID-19まで人類と感染症の歴史が学べました。

新型コロナも衝撃的でしたが、昔と比べて新薬開発スピードは格段と速くなっており早急にワクチンなどが開発できる体制が整ているんですね。


猪苗代湖湖畔のホテルに到着。野口英世が一時帰国したときに宴会を行ったホテルらしいです。

夕食はホテルのレストランで中国人シェフの麻婆豆腐定食を頂きました。

おいしかったし、レストランなかったら近くに食べる場所もコンビニもなかったので助かりました。

大浴場もあって、しっかり疲れが取れました。


2日目

ホテルで朝食を食べて、

まずは近くの天鏡閣へ。

ここは有栖川宮威仁親王殿下が猪苗代湖の美しさに感動し建てた別邸。

明治41年8月に完成したルネッサンス風の洋風建築

玄関 食堂
客間 球戯室
 居間室 御座室 客室 化粧室

本日の目的地五色沼へ。

五色沼は明治21年に起きた磐梯山の噴火で誕生した湖沼群

毘沙門沼

赤沼

みどろ沼

弁天沼

青沼

柳沼

るり沼

昼は観光センターのラーメン。

あっさりしていておいしかった。

本日の宿泊地会津若松へ。

途中、赤べこ公園に寄りました。

大きな赤べこ滑り台から赤べこの遊具まである小さな公園でした。

ホテルに到着後夕食へ。会津ソースかつ丼を頂きました。

以前に福井でもソースかつ丼は食べたことがありますが、その時よりは食べやすかったです。


3日目

ホテルで朝食を食べて

天気が怪しいけど会津若松市内を散策しながら郡山駅へ。

まずは鶴ヶ城へ。

天守閣の中は入らず公園を散策しました。

赤べこの専門店赤べこランドへ。

赤色だけでなく、いろんな種類の赤べこがいました。

近くの飯盛山へ。ここは白虎隊が集団自決した場所でもあります。

同じ敷地内のさざえ堂へ

旧正宗寺三匝堂

螺旋状の構造で上りと下りが混ざらない不思議な構造でした。

螺旋状のスロープに沿って三十三観音像が祀られており、

一度入れば巡礼を終えたことになる庶民に身近な巡礼建築だったそうです。

あとはひたすら郡山駅を目指します。

途中お昼に会津めんのお店へ。

たまたま看板を見つけてここで食べないと食事できるところはなさそうなので寄ってみました。まさかの大人気店で行列に並んで食べてきました。

味噌ラーメンでしたが普段食べている味噌ラーメンとは全く違い、具材が多いけどあっさりしたスープでおいしかったです。


再び猪苗代湖の湖畔に出て、

少しヒルクライムをしたら郡山市街までほぼ下り。

無事郡山駅に到着。

新幹線の時間まで、近くの温泉で汗を流して、夕食を食べて過ごしました。夕食は東北地方にチェーン店を構えるお店のスープパスタ。

駅に戻って自転車を収納したら結構ギリギリ。軽くお土産を見て郡山駅をあとにしました。

新幹線に乗っている間ずっと雨でしたが、蒲郡に着くころには雨もあがっており、雨に濡れることなく帰って来れました。


走行距離:208.34km(3日間合計)

巡航速度:19.2km/h


相変わらず膝が痛かった。何とか痛みが出にくいフォームを見つけて走りきれたけど、今後が不安・・・。今回は最後の温泉で驚異の回復。意外と温泉の効用って効くのかな。

2025年4月14日月曜日

25.04.12-13 Eroica Japan

 毎年恒例のEroica Japan参加のため伊豆へ。

昼過ぎに着いて、コースを一部走って、近くの沼津御用邸へ

明治26年大正天皇のご静養先として造営された御用邸。
完成時には5750平米、100室を超える部屋を備えた大規模な邸宅でした。
しかし、太平洋戦争の爆撃で本邸は焼失。戦後は御用邸が廃止され都市公園として一般公開されています。

明治38年には昭和天皇の御用邸として現在の西付属邸が造営されました。
総面積1270平米、部屋数26室の木造平屋建ての宮廷建築です。
玉座、炊事場、供進所
食堂、御座所、御玉突所


本邸正門

沼津垣広場

防空壕

見頃は過ぎて葉桜でしたがきれいでした。

イベント会場に戻るとイベントライドでほとんど人がいなかったです・・・。
でも掘り出し物でウールジャージも購入できました。
ホテルに行き、夕ご飯は近くでお寿司。
久々においしいお寿司が食べられました。

翌日のライドは雨で中止になりましたが、温泉も入れたしわざわざ来た甲斐はあったかな。
翌日は食料品の買い物などしながらゆっくり帰宅しました。

走行距離:28.06km
巡航速度:23.4km/h

2025年4月13日日曜日

25.04.05-06 花見

今回はやっと暖かくなったので、花見ライド。
近所の花見スポットを回りました。
大狸で有名な大山緑地へ。

次は刈谷の亀城公園へ

最後は豊田の水源公園
岡崎城も通りましたがすごい人だし、時間も遅かったのでスキップ。

久々の長距離ライド。何とか走りきれたけどやはり膝が痛い。自転車の調子もイマイチ。
来週はEroicaなので、フォームの修正と自転車も調整しないと。

走行距離:106.71km
巡航速度:20.6km/h

翌日も友達と花見へ
大府市のみどり公園へ
公園の周りも桜がいっぱいでした。

名所のミモザも。初めて見ました。

今年は桜にミモザに春を堪能できました。

2025年3月27日木曜日

25.03.20-22 熊本

 今回は初めての熊本へ。

まずは明治から続く芝居小屋 八千代座へ。

八千代座は明治43年(1912)年に竣工し明治44年に松島家一行による大歌舞伎でこけら落としがされました。

活動写真や演奏会、映画の上演などもされていたそうです。

昭和40年代には市民の娯楽が多様化したことで人々は芝居小屋に行かなくなり、経営不振に陥り閉鎖され老朽化が進みました。

昭和61年に復興会が発足し「瓦一枚運動」などの募金活動により修繕され昭和63年に国の重要文化財に指定。

平成8年からは平成の大修理が行われ平成13年春に2度目のこけら落とし公演を迎えました。

特徴の一つが建築当時の天井広告画とシャンデリア

座席は升席に3~4人かけることができ、現代人で600人くらい収容できるらしいです。
建築当時は現代人より一回り小さかったので、升席は8人掛けで収容人数も現在の倍入っていたそうです。
舞台裏には現在は使われていない楽屋、浄瑠璃を演奏するちゃぼ床、幕を吊ったり、雪や花吹雪を降らせるぶどう棚、大道具、小道具部屋があります。
奈落に降りると、回り舞台を動かすレールとすっぽんがあります。
楽屋
ちょぼ床、ぶどう棚、小道具部屋
大道具部屋、回り舞台、すっぽん

当時の一番いい席とされているところから眺めてみました。

役者が出てくる花道と舞台全体が見渡せます。


八千代座の周辺には旧銀行や石門など歴史も感じられました。

旧安田銀行山鹿支店跡
大正14年(1925)建設された山鹿の洋風建築第1号

金剛上寺石門
文化元年(1804)制作のめがね橋築造技術を活かした石門


次は、世界遺産の炭鉱跡 万田坑へ

万田坑は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる三池炭鉱の20世紀初頭を代表する坑口。

明治35年(1902)に開かれ、明治41年には採掘した石炭を三池港へ運ぶための鉄道が開通。

昭和26年(1951)に石炭採掘の役割を終え、平成9年(1997)の閉山まで主に坑内の排水をする役割を担っていました。

倉庫及びポンプ室(旧扇風機機械室)

扇風機機械室には浴室、安全燈室があります。
浴槽、安全燈室
第二竪坑坑口、第二竪坑櫓
安全燈室を抜けると第二竪坑櫓の真下に抜けます。
第二竪坑巻揚機械室にはジャックエンジンと巻揚げ機が設置されています。
この機械が第二竪坑櫓につながっており、第二竪坑から人を昇降していました。

万田坑の第一竪坑で採掘された石炭を選炭場で分けて、炭鉱電車で三池港などに運搬されていました。
三池炭鉱専用鉄道と炭鉱電車

万田坑の電化を推進した発電所もあります。

大正時代に建てられたレンガ造でコンクリート塗の建物です。

配電所(変電所)
昭和初期に建設された坑内で使用する機械類の修理や工具を作るための修繕工場も残っています。
職場(修繕工場)


事務所

大正3年(1914)建設当時は坑内の換気を行う扇風機室でしたが、昭和26年(1951)の万田坑閉抗後からは1Fは更衣室、2Fは事務所と監視室として利用されていました。


1日目最後は熊本城

閉館ギリギリでしたが、観光客が大勢。

熊本城は天正16年(1588)に加藤清正が肥後北半国の領主として隈本城に入ったことからはじまります。

慶長4年(1599)に茶臼山に新城の築城を着手

慶長5年に大天守が完成しました。

明治10年(1877)に西南戦争直前の火災で焼失。

昭和35年(1950)に鉄骨鉄筋コンクリートで天守を再建しますが、平成28年の熊本地震で石垣の崩落や建造物の倒壊など被災。その後復旧工事を経て令和3年に天守閣の復旧が完了しました。

天守以外は現在も熊本地震の復旧工事中です。


夕食は熊本城近くで熊本名物の太平燕。

あっさりしていておいしかったです。

近くのくまモンスクエニも寄ってきました。


くまモングッズがたくさんです。

熊本城の駐車場に戻る途中で、くまモン人形焼きを購入

モチモチの皮でおいしかったです。

1日目は八代市のホテルで一泊。


2日目は天草地域へ。

まずは八代市のくまモンポートでくまモンを愛でて・・・、





途中、天草四郎資料館へ。

天草四郎はキリスト教迫害と年貢負担による生活困窮に反発して勃発した島原天草一揆の首領です。

一揆勢37000人が原城で籠城し幕府軍に抵抗。

最終的には兵糧攻めにより食料、武器などの物資が底を付きかけ、幕府軍の総攻撃により皆殺しになり沈静化されました。

この一揆以降、幕府はキリスト教に対し疑心暗鬼になり、鎖国政策とキリスト教の禁教令の強化を行うきっかけになったとされています。


昼は近くの道の駅で天丼。

天草地方の端、崎津の崎津教会へ。

続いて大江教会へ

この地ではキリスト教禁教令の中、文化2年(1805)に起きた隠れキリシタンの検挙事件「天草崩れ」のあった地です。
先述の島原天草一揆以降、禁教令が厳しくなり、表向きは仏教などを信仰しつつ隠れてキリスト教を信仰続けていました。たとえば人目を避けるために隠し部屋でオラショ(祈り)をささげたり、仏像や土人形に十字を掘ったり、マリア観音を作ったり、鏡などを信仰の対象にして密かに信仰を伝えていったようです。
最終的に明治6年(1873)に禁政教令が解除され、多くの信者がキリスト教信仰に復帰しました。

天草地方のもう一つの世界遺産三角西港へ。

ここは明治日本の産業革命遺産の一つで、明治20年に開港し当時の遺構、建造物が現存する港町です。


開港当時の石積みが残る水路

龍驤館
大正7年(1918)明治天皇即位50周年を記念して建てられた記念館


浦島屋

倉庫

旧高田回漕店

三角簡易裁判所


旧宇土郡役所
明治35年に宇土郡役所として建設された擬洋風建築
現在は海技学院施設として使用


2日目は熊本市内のホテルで1泊。

夕食は熊本ラーメンにしました。

博多の豚骨ラーメンの派生みたいなイメージでしたが、豚骨臭さもなく、麺も太めでおいしかったです。


3日目

放流が人気の通潤橋によりつつ(放流されてませんでした・・・。)

通潤橋

高千穂峡へ。こちらも人生初宮崎です。

高千穂峡は阿蘇溶岩の浸食谷で名勝天然記念物です。

また熊本県に戻り、阿蘇山へ。

頂上付近まで車でいけますが、ちょっとガスってる感じ。

展望台から写真だけ取って退散。

最近はまっているビーバーに会いに阿蘇ファームランドへ。

まずは昼食。レストランで赤牛のハンバーグを頂きました。

きのこ推しのレストランなので、きのこがたっぷりです。


お目当てのふれあい動物大国へ。
13:00ですが、ビーバーはまだ巣の中らしくまだ出てきていません。
一匹だけ小屋の中でカピバラと一緒にいました。


餌を購入して、ニンジン、キャベツをあげながら撫でてみました。
思ったより硬い毛でした。カピバラよりは柔らかいかな。
13:30くらいからビーバーの散歩がはじまり、ビーバーたちが小屋に集まってきました。
エサ入りコップに興味しんしん

かゆ~い


しっかりビーバーたちと触れ合えたので、ちょっと早めに空港へ。

予定より2時間ほど早く到着できました。

出発までに夕食で馬肉の焼肉を頂きました。

あっさりしていておいしかったです。しっかり熊本名物を味わえました。

あとはお土産を買って、ラウンジで時間つぶし。

夜に無事帰宅できました。