2月のリニュアル後ようやく行けました。
屋外にはANA塗装の国産旅客機YS-11などの名機が展示されています。
新明和 US-1A 救難飛行艇 川崎 P-2J 対潜哨戒機 下)YS-11-500R 中型輸送機 戦後初の国産旅客機 |
展示は時代順になっており、航空機の歴史を見ながら
その時代を代表する機体が見れました。
1.航空機と航空機産業のはじまり
まずは世界初の飛行機ライトフライヤー号
有名なライト兄弟が世界初の有人飛行に成功した飛行機です。
まずは各務原での航空機製造の歴史を紹介。
1914年に川崎造船所(現 川崎重工)がフランスの主力偵察機サルムソン2A2の製造権を取得し国産化に取り組み、1922年に各務原飛行場で初飛行が行われました。
このサルムソン2A2は初めて作られた機体の模型です。
乙式一型偵察機(サルムソン2A2) |
2.戦前・戦中の航空機開発
飛燕と零戦
第二次世界大戦当時日本の航空機技術は世界トップクラスでした。
飛燕と零戦はそんな当時の航空機技術を示す機体です。
左)飛燕 二型6117号機
川崎ハ104エンジン(レシプロ・エンジン液冷倒立V型12気筒)、過給機
右)海軍十二試艦上戦闘機(零戦 試作機)
三菱ハ42エンジン(レシプロ・エンジン空冷星型18気筒)
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特に飛燕はここ各務原にしか残っていない貴重な機体です。
まずは飛燕の紹介から
1941年に各務原で製造、初飛行した機体。
当時の川崎航空機産業(現 川崎重工)の土井武夫氏が主任設計者として設計されました。
当時では珍しい水冷式エンジンを搭載したシャープなフォルムが特徴です。
零戦などに搭載されている空冷式エンジンに比べ生産性も悪くダイムラーベンツのDB601をライセンス生産したハ140エンジンですが本家同等の性能がなかなか出せず、戦後近くには資材不足もあり稼働できたエンジンはわずかだったようです。
戦後日本の戦闘機は米軍に資料を含め処分されましたが、
展示機は戦利品としてアメリカが接収し、星条旗の塗装などもされていたそうです。
その後、日本に返還後は戦後間もない時期で「戦争」をイメージする本機の貰い手が見つからず、雑な扱いなどもされながら数年前まで鹿児島の知覧特攻平和会館に展示されていました。
今回、リニューアルに向けて譲り受け、設計・製造元の各務原の川崎重工岐阜工場で復元修理がなされ、塗装をなくし、貴重な技術資料として展示されることになりました。
展示されている零戦は試作機です。1939年に各務原で初飛行を行いました。
飛燕を設計した土井武夫氏の東京帝国大学の同期、堀越二郎氏が設計を行いました。
ちなみに、各務原飛行場は国内最古の飛行場で、試験飛行場として設立当時から現在まで航空機メーカー、軍、自衛隊で試作機の試験で使用されています。
3.戦後の航空機開発
第二次世界大戦で敗戦した日本は、GHQの管理下で戦時中の航空機や設計図の処分と7年間の航空機製造を停止させられました。その後、開発が再開されるとさまざまな技術への挑戦が積極的に行われました。
1980年代からはボーイングなどと共同で大型旅客機の開発にも参画しています。
また各務原はヘリコプター生産の中心地にもなっています。
右から 川崎ベル式47G3B-KH4型ヘリコプター、
川崎KHR-1(リジットローター実験ヘリコプター)
川崎式BK117型ヘリコプター
OH-6J 新型式ローターシステム実験機
川崎 XOH-1 観測ヘリコプター実物大模型
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4.空から宇宙へ
まずはロケットから
H-Ⅱロケットフェアリング |
ボルト内の爆薬でボルトが切断されカバーが開く仕組み。
展示はH-Ⅱロケットの開発段階の試験で使用されたもので各務原で作られたそうです。
人工衛星
①光衛星間通信実験衛星 きらり
②通信放送技術衛星 かけはし
1998にH-Ⅱロケットで打ち上げ
③宇宙実験・観測フリーフライヤー 宇宙の無人実験室
1995にH-Ⅱロケットで打ち上げ
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宇宙ステーション
宇宙探査
小惑星探査機 はやぶさ2 |
小惑星Ryuguを探査し岩石資料を持ち帰ったはやぶさの後継機
2020年末地球へ帰還予定
火星探査車 キュリオシティ、 マース・エクスプロレーション・ローバー NASAが火星探査用に送った無人探査車 |
すこしでも多くの国産機が飛んで欲しいものです。
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