今回は青森へサイクリングへ。
県営名古屋空港から青森空港へ。
弘前城
弘前藩二代藩主津軽信枚により慶長16年(1611)に築かれた天守。
ずっと行きたかった現存天守の弘前城。
現在は石垣修理中で本来の場所からは70mほどの位置に移動しています。
天守以外に城門5つ、櫓3つが現存しています。
追手門、北門、南内門、東内門、東門 |
二の丸丑寅櫓 |
一旦腹ごなしに近くのカフェでアップルパイを頂きました。
日本基督教団 弘前教会
青森銀行記念館
旧五十九銀行本店として明治37年(1904)に建築された木造のルネッサンス様式の洋風建築。旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
藤田記念庭園
日本聖公会 弘前昇天教会
大正10年(1921)に米国人設計者のジェームズ・M・ガーディナーが設計したレンガ造の平屋建てのゴシック様式の教会。弘前れんが倉庫美術館
館内は受付が終わっていて見学できませんでした。
名所を巡り終えてホテルへ。
夕食を食べようと自転車に乗ったら足に痛みが!!
痛みを我慢して夕食のお店へ。
フランス料理のコースを頂きました。
お手頃価格で本格的なフランス料理がいただけました。
どれもすごくおいしかったです。
ホテルに戻って、痛みの原因を調べてアイシング。
痛みが引いたような気がしましたが果たして・・・。
2日目
ホテルで朝食を食べて、さっそくスタート!と思いましたが、自転車乗るとやはり痛みが・・・。
とても長距離走り切れる状態ではないので、レンタカーを借りに行くことに。
計画変更でレンタカーで自転車ルートを走ることにしました。
予定にちょっと余裕がありそうだったので、ルート作成時に諦めた秋田県の秋田犬博物館へ。
秋田犬博物館
秋田犬が見れると思って、訪れましたが休日は出勤してないみたい。
秋田犬に会いたかったので、資料館自体はそれほど見どころなし・・・。
自転車ルートから外しておいてよかったです。
次は鉱山の町小坂町へ。
小坂レールパークで鉱山で栄えた遺産を巡りました。
小坂駅
明治41年(1908)に小坂鉱山用鉄道として開通。
泊まることのできる寝台特急ブルートレインが展示されています。
ブルートレイン |
DD131/DD132/DD133(ディーゼル機関車)、エボルタ電池鉄道 |
康楽館
小坂鉱山の厚生施設として建設された日本最古の和洋折衷の芝居小屋。
切穴(すっぽん) 回り舞台 |
建物の側面を見ると和風と洋風の建物が一体になっていることが分かります。
小坂鉱山事務所
明治38年(1905)に建設された小坂鉱山の事務所
国内最大級の木造西洋建築。
小坂鉱山は文久元年(1861)小林与作が銀鉱を発見したことで始まります。
明治3年(1870)に日本初の洋式溶鉱炉が完成、明治7年には日本初の湿式精錬法を導入し銀の回収率が大幅に増加します。
明治14年には銀生産量日本一になり8年連続で産銀量日本一となります。
明治27年には日本初の亜鉛製錬に成功し明治33年には黒鉱自溶製錬に成功。
明治40年には金、銀、銅の総生産額が日本一になりました。
その後不況や煙害などを乗り越え、平成2年に閉山されました。
螺旋階段 |
門艦詰所、旧電錬場妻壁、小坂鉱山病院記念棟 |
事務所内のレストランで昼食。
小坂鉱山煮込みハンバーグを頂きました。
天使館
昭和7年鉱山従業員子弟の幼児教育機関として建設された保育園。
次は十和田湖へ。道中の展望台から湖を一望できました。
近くに新しくできた道の駅に寄って、ちょっとお土産も買えました。
十和田湖畔にある奥入瀬渓流へ。
何とか駐車場を見つけて、渓流沿いを散策。
ちょっと紅葉の見ごろは過ぎていますがきれいな景色に癒されます。
せっかくここまで来たからと結構歩き、痛めた足を悪化させそう・・・。
さすがにきつかったのでシャトルバスで駐車場に戻りました。
十和田市内のホテルに無事到着。
レンタカーで暗くなるギリギリで回りきれたので、自転車だったらどれか諦めていたかも。
意外とレンタカーでよかったのかもしれません。
夕食を食べにちょっと外出。
名物の十和田バラ焼を頂きました。
締めはうどんにしました。
3日目
まずは十和田市現代美術館へ。
フラワーホース、夜露死苦ガール2012、オクリア |
めったに美術館は行かないけど、思ったより面白かったです。
スタンディング・ウーマン、ザンプランド、コーズ・アンド・エフェクト 水の記憶、あっちとこっちとそっち 無題/デッド・スノー・ワールド・システム、ロケーション(5)、建物 |
周辺にはアートなスポットがいくつかあります。
愛はとこしえ十和田でうたう |
ゴースト、アンノウン・マス |
ファット・ハウス、ファット・カー |
次は名山八甲田山を通って、青森市内を目指します。
睡蓮沼
地獄沼
八甲田山は以前大規模な遭難事故があり、遭難地点に慰霊碑がありました。
遭難事故を伝える八甲田山雪中行軍遭難資料館へ。
明治35年、緊迫する日露関係を背景に寒気と雪による作戦への影響を調査する耐寒訓練として青森から八甲田山を超えて田代までの一泊行軍を計画。
しかし悪天候に阻まれ総勢210名の隊員の内199名の犠牲者を出す惨事になった遭難事故です。
当時の行軍時の服装なども展示されていました。
レプリカのコートを触ることができましたが、今でいう春コートでとても氷点下の雪中を耐えられるものではないなと感じました。また靴も藁靴なので雪の中では相当冷えるだろうなと思います。
実際生存者17人の内14名は重度の凍傷で四肢のいずれを失っています。また6名は入院治療中に亡くなっています。
経験したことないですが、冬山登山は恐ろしいなとつくづく感じました。
青森駅周辺でレンタカーを返却し、昼食とお土産など買いに駅周辺を散策。
青森丼 |
八甲田丸
青函トンネル開通前に青森と函館を結んでいた青函連絡船。
大正14年(1925)に大量輸送をするため貨車航送船として投入され、太平洋戦争期間中には北海道の資源輸送に大きな影響を持ちましたが、連合軍の攻撃標的となり多くの船を失いました。
戦後も石炭や木材、食料などの資源輸送で国土復興に大きな役割を果たしました。
ブリッジ、船長室 グリーン車、客室、事務長室 |
煙突、甲板からの景色 |
車両室、マルチプル機関 総括制御室 |
ヨ6000、キハ82(特急用ディーゼルカー) DD16、ヒ600(車両の出し入れに使用する貨車) |
可動橋 |
最後は駅から少し離れて、世界遺産の三内丸山遺跡へ。
竪穴建物の集落 |
大型竪穴建物、大型掘立柱建物 |
大型竪穴住居内部 |
縄文土器、石鏃、針 土偶 |
針は現在の形とほぼ一緒。裁縫は6000年近く前の知恵を使っているんですね。
石槍や石鏃などが出土しており、クマ、シカ、イノシシ、ウサギ、鳥などの狩猟が行われており、肉は食材に毛皮は衣服、骨は道具に加工されていたようです。
縄文時代からキハダやサンショウを香辛料として使用したり、海水を煮詰めて塩を利用していたり、サルナシやアケビ、はちみつは甘味料として利用されていたそうです。
現在の生活の基礎は縄文時代から培わていたのですね!
あとは空港に向かうだけですが、やっぱり足が痛い・・・。
痛みに耐えながら空港にゴール。最後までレンタカーにすればよかったかな・・・。
荷物を預けて、空港で夕食。
名物のカレー味噌牛乳ラーメンを頂きました。
ほぼマイルドなカレーラーメンでおいしかったです。
飛行機を待っていると、出発時刻が遅れる連絡が。
しばらく待っていると、なんと欠航に。帰れなくなりました・・・。
飛行機の変更や、今日の宿を取ったりとバタバタ。
航空会社の方には丁寧に対応してもらえ、一安心。
翌日は直接名古屋空港往きの飛行機が取れなかったので、羽田空港を経由して新幹線で名古屋駅、バスで名古屋空港にたどり着きました。
車を回収して夕方には帰宅できました。
ほとんど自転車で走ることはできませんでしたが、初めての青森を十分楽しめました。
今年の大イベントはこれで終わりかな。まずは足を直さなくちゃ。
走行距離:67.08km
巡航速度:17.6km/h
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