2016年2月8日月曜日

16.02.06 刈谷・岡崎

今回はトヨタグループの一角のデンソーの企業博物館へ行くため刈谷へ.

まずは少し寄道.

依佐美送信所記念館
依佐美送信所記念館と鉄塔の一部
刈谷市のフローラルガーデンよさみの中にある依佐美送信所の記念館
昭和4年(1929)に建設された当時世界最大級の無線送信施設

長波によるヨーロッパへの送信を日本で初めて行いました.

開設から数年で短波の需要が増え,長波の使用は減ったものの
第二次世界大戦時には短波では通信できない
海中の潜水艦への信号送信などで活躍しました.

戦後は米軍に接収され,米軍の通信所として活躍.
平成5年(1993)に送信を停止,翌年には日本へ返還されました.
平成9年には鉄塔が撤去され,平成18年に本館と送信局舎が解体されました.

この記念館には2セットの発電機の内1セットと送信機や
その他,送信室などが保存されています.

送信のしくみを簡単に
1.主誘導電動機で交流を直流に変換し主直流発電機を一定回転数で駆動
2.主直流機励磁用電動発電機で安定した直流を生み出す.
3.主直流電動機が高周波発電機を駆動
手前 主直流機励磁用電動発電機
奥 主誘導電動機(右)主直流発電機(左)

4.高周波発電機が1360rpmで回転し,5,814kHzの周波数を発生
主直流電動機 高周波発電機
この高周波発電機は2007年に機械遺産に指定されています.

5.周波数三倍機で送信電波に必要な17.442kHzにする
手前 高周波チョークコイル 右から バリオメータ型高周波コイル
周波数三倍機 信号用磁気誘導変更器

6.モールス信号に従って,電波を断続させる
モールス信号記録装置

7.信号を送信
送信室

機器配置
ちなみにこの地に作られた理由は,
・建設当時名古屋近郊の電気料金が安かったこと
・送信を妨げる山や住宅が少ないこと
・地盤が固く平地であったこと
・鉄道網が発展しており交通の便が良かったこと
・地域の歓迎があったこと
からこの場所が選ばれたそうです.

DENSO Gallery
DENSO本社

DENSO Gallery
デンソーの歴史や製品に関する展示がされています.
土日の開館日は月一回第一土曜日のみです.

デンソーの歴史を簡単に
1949年 豊田自動車工業から分社し日本電装株式会社を設立
1957年 プラグ事業を始める為,愛知電装株式会社を設立
1969年 IC研究室を開設
1970年代~80年代 海外拠点の設立
1996年 社名を株式会社デンソーに変更

現在に至るまで様々な技術的や環境に関する賞を受賞しており
技術的にも社会的にも貢献しているメーカーです.

創業当時の製品
①ラジオ受信機 ②平形ホーン ディストリビュータ(点火装置)
③提灯型オイルフィルター 指針回転式スピードメータ ④ダイナモ 足踏み式スタータ ⑤洗濯機
⑥プレートフィン型ラジエータ 汎用丸形ヒータ ⑦電気自動車(DENSO号)
現在ではこれらを更に発展させて,
以下の5つのキーワードで様々な製品やシステムを開発しています.


環境
ハイブリットカーをはじめとするより低燃費で環境負荷のない車を実現する為
エンジンシステムなどの開発をしています.
ガソリンエンジン制御システム

ディーゼルエンジン制御システム

安全
エアバッグシステムなどの車内の安全に関わるシステムや
車両周辺を監視するシステムの開発をしています.
レーザレーダ 画像センサ ミリ波レーダ

エアバック関連センサ

快適
主にエアコンなどの車内空調システムの開発を行っています.
エアコンユニット

利便
カーナビゲーションシステムやETCなどの開発を行っています.
①カーナビゲーション関連
②ドライブレコーダ デジタルタコメータ
③ETC

生活・産業
バーコードやQRコードなど非接触IC技術や産業用ロボット
化粧品や住宅設備も手掛けています.
①バーコード関連製品 ②非接触ICカード関連製品
③化粧品 ④家庭用エアコン関連製品
⑤ホームエネルギー関連製品 ⑥産業用ロボット
車の中の部品がほとんどの為,実感が沸きにくいものの
最近話題の自動運転など次世代の自動車産業において
存在感を示しているメーカーだと改めて感じました.
次世代のクルマをきっとワクワクしたものにしてしてくれそうな感じがしました.

今回はついでで,近場のスポットにも寄ってきました.
岡崎は八丁味噌で有名ですが,
八丁味噌を現在作っているのは全国で二社のみです.
もちろん,八丁味噌という製品名を使用できるのも,この二社のみです.
二社とも工場見学ができたので寄ってきました.

ちなみに八丁味噌の由来は岡崎城から八丁(約870m)にある
八丁町(旧八丁村)で生産された味噌であることから名付けられました.

カクキュー
カクキュー本社事務所(登録文化財)

カクキュー所有の最古の味噌桶

味噌貯蔵庫
桶の上の石積みは職人の手作業で積まれています.
お城の石垣と同じ工法で積んでいるため,簡単には崩れないそうです.
乾燥中の桶

マルヤ八丁味噌
カクキューとは旧東海道を挟んで隣に位置しています.
マルヤ八丁味噌 本社
味噌貯蔵庫
こちらも職人の手作業で石積みをしています.

どちらも見学後に赤だし味噌を頂きました.
今度食べ比べてみようと.

走行距離:75.69km
巡航速度:24.7km/h
やはり今回も近すぎました.

年間4000km達成のためにも走らないといけないですが
だいぶネタ切れ状態.面白い目的地を探さなくては・・・.

2016年2月2日火曜日

16.01.31 半田

今回は,半田市にあるミツカンミュージアムへ.
このミュージアムは事前に予約が必要です.

目的地の半田市には一時間前に到着したので,
先に市内をぶらり.

まずは,街のシンボル「半田赤レンガ建物」へ

半田赤レンガ建物
半田赤レンガ建物
ここは明治31年(1898年)にカブトビールの製造工場として建造されました.

木造の骨組みに合わせて煉瓦をはめ込んだハーフティンバー構造,
外装の一部には太平洋戦争の空襲による機銃清掃痕が残る戦争遺構にもなっています.
5重の壁になっており、断熱に優れた構造になっています.
五重の壁
カブトビールは1889年に中埜酢店(現 ミツカン)4代目中埜又左衛門と
敷島製パン創業者の盛田善平により「丸三ビール」として売り出したことがはじまりです.

以前に来た際には,まだ内部公開はされておらず,
外観を見ることしかできませんでした.

今年の10月頃に内部公開が開始されて今回が初めての訪問です.
外ではイベントなのか,出店のテントなども置かれて非常ににぎわっていました.
個人的には外観の周りではイベントはして欲しくないですが・・・.

内装は展示室,カフェ,ショップ,クラブハウスなどが設置されていました.
内装 通路
展示物は写真撮影はできませんでしたが,
ビールを貯蔵していた樽や当時の宣伝用の資料などが展示されていました.

また,クラブハウスなどは改装して作られている様で,
有形文化遺産としては少し残念.
しかし,街のシンボルとして活用したいという考えには賛同できますね!
大切に残していきたいものです.

MIZKAN MUSEUM
ミツカン本社とMIZKAN MUSEUM
ツアー形式の見学でした.
昔ながらの酢の製法やミツカンの歴史について展示されていました.

酢の製法
もともと酒屋であり,酒造りで残る酒粕を有効活用する為に
酒粕から作った酢「粕酢」づくりを開始したことがミツカンのはじまりです.

1.粕熟成 酒粕を熟成させ,旨味と甘みを出す.
2.もろみ作り 熟成した酒粕と水を混ぜ合わせる.
3.圧搾 もろみを「酢袋」に入れて圧搾して搾り取る.
      →この時できるものが「酢もと」
4.沸かし 酢もとを温める.→「沸かし汁」
5.仕込み 「種酢」(前回の残り)と沸かし汁,「酢もと」を混ぜ合わせる
6.貯蔵 2~3ヶ月熟成
7.ろ過 ろ過して不純物を取り除く.
8.詰め口 樽へ詰める
9.荷造り 樽を満量にして縄で縛って出荷

現在はほとんどが機械化されており,樽ではなく瓶に詰められて出荷されます.

ミツカンの歴史を簡単に
1804年 初代 中野又左衛門が江戸を訪れ,寿しと出会う.
      当時江戸で流行っていた「早寿し」(現在の握り寿しの原型)では
      高価な「米酢」が主流であった為,
      粕酢にすることでおいしく手軽に寿しが食べられると発想.
      酒造業を営みながら粕酢作りに着手
1811年 粕酢作りに成功し,酢蔵(工場)をつくる.
1821年 酢作りに必要な大量の水を確保する為,水道の敷設を開始.
      1850年には2回目の敷設.
      半田の町を挙げた一大プロジェクトで雇用の創出などに寄与したそうです.
1845年頃 最上級粕酢「山吹」の誕生
      当時,二代目又左衛門は他のお酢と差別化する為にブランド名をつけ
      ブランド戦略の先駆けとなる.
1884年 ミツカンマーク誕生
      四代目又左衛門は家紋を元に現在のミツカンの商標「三ツ環」を生み出す.
      姓を「中野」から「中埜」に変更
1889年 「丸三ビール」と名付けビール事業に進出
1898年 ビール工場「半田赤レンガ建物」を施工.「カブトビール」ブランドの誕生
1900年 「愛養舎」を設立し牛乳事業へ進出
1901年 中埜銀行設立(~1938年まで地元銀行として活躍)
1942年 中埜生化学研究所設立
1952年 酢の瓶詰め化へ
      当時,ミツカンの空き樽に他の酢を入れて売られることが多く,
      七代目又左衛門は社長主任後すぐに瓶詰化を決断
      1954年半田工場,1955年尼崎工場が全自動瓶詰ライン化へ
1960年 七代目は又左衛門を「又左エ門」に改める.
      「衛」は守りで後ろ向きな意味だが「エ」は工夫に通じる為
1964年 「ミツカンぽん酢(味付け)」を発売
      七代目又左エ門が博多で食べた「水炊き」のぽん酢に感銘を受け開発
歴代 味ぽん酢
1982年 おむすび山を発売
1997年 「金のつぶ」発売で納豆市場へ

現在では海外販売拠点の創出や世界の食品メーカーを買収するなどして
積極的にグローバル展開しています.
創業から実に200年以上.日本や世界の食を支えているメーカーですね!

半田から江戸に酢を運ぶのに使われた弁才船も展示されていました.
弁才船 富士宮丸為次郎船
最後には酢の試飲もできました.
酢は苦手でしたが,料理に積極的に使ってみようかな.

次いで,國盛で有名な中埜酒造の博物館へ

酒の文化館
中埜酒造 國盛 酒の文化館
酒の造り方など,こちらもガイド付きで説明して頂きました.
お米の削り方でお酒のランクが変わるのですね.
お酒のランクと味・用途も説明して頂き,大変参考になりました.

1.洗米 米を洗って20時間水に漬け込む.
2.蒸米 米を蒸す
3.放冷 麹,酛,醪の工程に分けて冷やす.
4.麹造り 蒸米に麹菌をふりかけて麹をつくる.
5.酛造り 麹と蒸米に水を加えて合わせる.
6.醪造り 麹,酛,蒸米,水を混ぜ合わせる.
7.醪出し 3週間で発酵し醪が完成する.
8.しぼり 醪を酒袋に入れて圧搾し酒を絞り出す.
9.貯蔵 火入れをした後,熟成へ.

当時の樽なども展示されていました.
國盛の樽
酒瓶や祝に使用される容器

その他のスポット
半六庭園
半六庭園
旧中埜半六邸を改修した庭園
中埜半六家は海運,醸造業などを幅広く行う商豪.


小栗家本宅
1867年から1870年にかけて小栗三郎が建てた住宅
寄棟造り桟瓦葺の二階建て居宅と店舗を合わせた和風木造建築
店舗は穀物や肥料を扱う萬三商店の本社として使用されました.

今回は,「食」に関するものづくりを見ることができました.
身近なのにどのように作られているか,効果や特徴を知らずにいたため
今後参考にできそうです.
お酢もお酒も苦手ですが,興味が沸いてきました.
上手く活用していきたいですね!

走行距離:70.27km
巡航速度:22.3km/h
いまいち距離が伸ばせませんでした.
80km位はいけると思ったけどなあ.
半田運河と