2016年10月31日月曜日

16.11.05 桑名

今回はちょっと長距離で,三重県桑名市へ.

現地に着いたらお昼頃だったためとりあえず昼食に.

今回は現地のグルメを食べようと調べていたため
第一候補のお店へ.
人が待っていたのとお店の雰囲気がレーサージャージでは入り辛く断念.

第二候補のお店へ.

第二候補は,はまぐりプラザの食堂
はまぐりプラザ
ここでは名産のはまぐりを使った料理が頂けます.
目当ては「くわなめし」とされている「はまぐり丼」
はまぐり丼
はまぐりのフライにウナギのたれに似た甘辛い醤油たれがかかっていました.

シンプルですが,すごくおいしかったです.満足できました.

揖斐・長良川堤防沿いを進み蝶龍櫓へ

蟠龍櫓
蟠龍櫓
航行の守神として建てられた桑名のシンボルとなる櫓を復元したものです.

七里の渡跡
現在の名古屋市熱田区の宮宿と桑名宿の間は東海道唯一の海路で
その距離が七里であったことから七里の渡と呼ばれていたそうです.

この鳥居はこの場所がちょうど伊勢国の東の入り口に位置していたことから
伊勢神宮の「一の鳥居」として建てられたそうです.
七里の渡跡

住吉神社
船運の拠点地として発展してきた場所であった為,航海の安全を祈願して建立されました.
なお,現在の社殿は揖斐川防潮提が整備された際に建て替えられたものだそうです.

六華苑
今回のメインの目的地です.
以前にも見たくて来たのですが,その時は修復工事中だったため断念.
今回はしっかり見れました.
六華苑 和館と洋館
 ここは二代目諸戸清六の邸宅として大正2年に竣工.
洋館と和館,蔵などの建造物群と「池泉回遊式」の日本庭園で構成されています.
洋館は「日本近代建築の父」ジョサイア・コンドル設計で有名です.
建設に際し,三菱の創始者岩崎家の仲介で
ジョサイア・コンドルに依頼された説があるそうですが
邸宅の全体構想など誰によるものなのか詳細は分かっていないようです.

ちなみに,特徴的な4階の塔屋は元々3階で設計されていましたが
3階では揖斐川を望むことができなかったため,4階建てになったそうです.
4階から揖斐川を眺めることが当主のお気に入りだったそう.

和館
明治・大正期の洋館には純粋な洋式への抵抗から
和館が接続されているものが多くあるようですが
ここまで本格的な和館を備えたものは貴重な遺構だそうです.
和館 一の間 二の間 廊下
 一の間は和館の客室で床の間,付書院・飾り棚を設けた座敷となっています.
 二の間は和館の居間として使われていました.
家族の日常生活は主に和館が使用されていたそうです.

洋館
洋館
和館と直接つながっている洋館です.
ダイニング、サンルーム、ホールと玄関、客間
 ホールを中心とした食堂や応接室の配置と大きな折れ曲がり階段が
コンドル建築の特徴だそうです.
サンルームからは庭が見渡せます.

内装も素敵ですが水色とクリーム色の美しい洋館と
落ち着いていながら重厚感を出している和館のコントラストが最高ですね!
池と邸宅

離れ屋
この離れ屋は昭和13年に増築され,仏間として使用されてたそうです.

ちなみに初代清六は父親の商売に失敗したことから
多額の借金を背負っていましたが
家督を継いで二年で借金を返済し,商売を成功させました.
その後,公共事業(主に水道施設と消火栓設置)に取り組み,
桑名の町に大都市に勝るような設備を設けたそうです.
当時の桑名は低湿地帯で感染病など衛生面の不安を抱えていました.
初代清六はそんな人々のため,独力で上水道を建設し水を無償で提供しました.
この行動力こそ成功の秘訣といえそうです.

まさに六華苑は借金を背負ったどん底から富と名声を得た結果です!
こんな場所で暮らせる様な富を得られるくらい成功したいものですね.

あまりの居心地の良さに長居してしまいました.

共通券で諸戸氏庭園へ

諸戸氏庭園
元は室町時代に「江の奥殿」と呼ばれていた庭園が
1884年頃に初代諸戸清六の手に渡り御殿と池庭が付けくわえられ
現在の姿になったそうです.
菖浦池を中心とする回遊式庭園,御殿とその池庭で構成されています.
ここは初代の邸宅として使用されていました.
本邸、御殿、推敲亭、菖浦池

 桑名の食べ物と名勝を存分に楽しめた一日でした.

走行距離:173.29km
巡航速度:22.6km/h
諸戸氏庭園 煉瓦蔵と

16.10.29 明智ー中津川

今回は中津川の中津川じまん祭りを見るついでに
ぶらりと走ってきました.

まずは今回の出発地 恵那市明知町の大正村へ
駐車場に車を停めて中津川へ出発!

中津川じまん祭りの会場 中津川公園に
何度かこの祭りには来たことがありますが
毎回すごい人です.
中津川じまん祭り
 この祭りのメインは中津川のお菓子.
栗が有名な中津川のため,栗を使ったお菓子を
老舗などが出しています.

以前に来た時には試食も盛りだくさんでしたが
今回は残念ながら試食はありませんでした.
あまりにすごい人だったため,すぐに会場を後にしました.

昼ご飯は以前から気になっていた中津川の新グルメ
「とりトマ丼」を食べに発祥の店といわれる神戸館さんへ.

11:00前で少し早い昼食.
店内は落ち着いたカフェみたいなお店でした.

とりトマ丼はというと・・・.
とりトマ丼
見た目はドリアみたい.
味はトマトの甘さが効いています.
カリッと香ばしい鶏肉とチーズが入っています.
結構おいしく満足します.気になる方はぜひ!

昼を超えたため,人も少なくなっただろうと思い再度祭り会場へ.
見事に読みが当たり人はだいぶ減っていました.
老舗の信玄堂さんの栗きんとん羊羹を買いました.

恵那市街から若干の激坂?を超えると
阿木川ダムへ.

小さい頃に何度も来たことがある懐かしのダムです.
久々に寄ってみました.もちろんダムカードもゲット!

阿木川ダム
主に洪水調整と利水供給・本流の木曽川の河川環境保全
を目的とした多目的ダムです.

型式:中央土質遮水型ロックフィルダム
ちなみにロックフィルダムはコアと呼ばれる小さい土で水をとめ
大きい岩(ロック)で支える構造のダムです.

ゲート上を歩いていくとダムの下流側の下へ降りる階段があり行ってみました.

こんなに近くからダムを望めるとは!!
阿木川ダム(下流側)

ダム湖を回りながら大正村へ
阿木川ダム(上流側)

こぶし公園

大正村
大正村広場
明治時代後期から大正時代にかけて作られた建築や町が残っています.
明治村や昭和村と違って明知町自体を大正村として盛り上げています.

明治末期ごろの和洋折衷の建物がいくつかあり
明治村に近い感じもありますが,
町内に溶け込んでいるためなつかしさを感じる雰囲気があります.

明治から昭和初期の文化と大差ない為,これといって特徴がない大正時代ですが
江戸から急速に西洋に追いつこうと発展した明治時代.
世界大戦とそこからの復興と経済大国になった昭和時代
そのはざまの大正時代.
日本が世界に進出し始めた激動の時代だったのかもしれませんね.
大正路地

 大正村役場(登録有形文化財)
明治39年に町庁舎として建てられた建物
瓦葺寄棟造2階建ての木造洋館
大正村役場(旧明智町役場)
村長室

 絵画館
絵画館
明治10年に施工の建物
小学校→警察→商工会議所として利用されてきました.

大正浪漫館
大正浪漫館
 初代村長の資料などが展示されています.

旧三宅邸
三宅邸
 元禄元年(1688年)に建てられたそうです.
内装
茅葺屋根の建物に囲炉裏があったりと落ち着く 雰囲気です.

通信史料館
通信史料館
 明治8年開局の郵便局.電信・電話の歴史が展示されています.
電話交換機

日本大正村史料館
日本大正村史料館(銀行蔵)
濃明銀行の繭蔵として使用されていた建物です.
大正の館
明治初期に建てられた名門橋本家の邸宅
米穀商として始まり三代目では医院として使用されました.
内装

走行距離:78.37km
巡航速度:21.8km/h
距離は短かったですが,町並みやヒルクライムと十分に楽しめました.

2016年10月16日日曜日

16.10.15 美濃市

久々の快晴だったため,美濃市までサイクリング.

長距離かつ昼食を取りながら走った為,美濃市には14:30頃到着.

まずは旧名鉄美濃駅へ

旧名鉄美濃駅
旧名鉄美濃駅
1923年(大正12年)に設置されて以降,
地元の人達の重要な交通機関として発展してきましたが
車の発達で1999年(平成11年)に廃止されました.

駅舎・プラットフォーム,線路の一部は国の指定重要文化財に指定されています.

展示車両
モ512号車(左)とモ601号車(右)
モ601号車
昭和45年製
電圧の異なる美濃町線と各務原線を直通するために複電圧車になっている.
美濃町線の主力車両として活躍

モ512号車
大正15年製
正面5枚窓の流線形が特徴

ワンマンカー

うだつの上る町並み
うだつの上る町並み
美濃市といえばうだつの上る町並み.
町内にはうだつを上げている家が18棟残っているそうです.
元は丘の上に町が形成されているため,水の便が悪く,
火災に弱かったそうです.
そこで防火対策としてうだつを上げるようになったのがはじまりだそうです.
次第に富の象徴として豪華なうだつを上げるようになったことから
生活の地位が向上しない,見栄えがしない ことを「うだつがあがらない」
というようになったそうです.

旧今井家 美濃史料館(重要文化財)
旧今井家
最も古いうだつ棟飾りの形式を残しています.
今井家は和紙問屋として反映した旧家です.
間取りは市内で最大規模となっています.
①調理場 ②台所 ③ 奥座敷 ④奥の間
現在は史料館として美濃市の歴史・文化についても展示されています.

にわか
にわか の様子
江戸や京阪に取引にきた美濃の紙商人が
赤丸提灯や松を飾った車を引いて三味線や笛などで囃子をしながら
寸劇を催していたそうです.


小坂家(重要文化財)
小坂家
江戸時代から続く酒屋

武藤家
武藤家
刀工の一派,金物商の家系

美濃市にうだつの上る家が多くあるのは
美濃和紙の取引により町が富裕を得たためだそうです.

次いで美濃大橋へ

美濃大橋(重要文化財)
美濃大橋
大正5年に建設された吊り橋
日本最古の吊り橋

川湊の灯台
川湊の灯台
美濃大橋から少し下流へ行くと
物資交流の要地として設置された
上有知(こうづち)湊の住吉灯台があります.

美濃市を堪能し,長良川沿いを岐阜市へ向かって走ります.
この辺りは長良川清流自転車道になっています.
しかし,案内看板などはなく,いつの間にかに行き止まりになり
自転車道ではなくなるようです.

岐阜市内に到着した頃には17:00頃,だいぶ暗くなってきました.
一宮市内に入り木曽川を渡ると満月が.まさに十五夜ですね!
木曽川と満月

名古屋市内へ入り豊田市へ.
21:00頃200kmに到達し,夕食.

ラストスパートをかけて帰宅したのは23:30頃でした.
実に234.15kmこれまでの最長記録を更新です.
8時に蒲郡を出発して自転車をこいで一日が終わりました.

全身が疲労で痛いです・・・.
美濃大橋と
走行距離:234.15km
巡航速度:サイコンの電池が少なかった為か測定されず・・・.
       感覚的には20~22km/hくらいかな.

16.10.09 関刃物祭り ディズニー・オン・クラッシック

今年も関市で行われた刃物祭りへ.

料理用の包丁を買い換えたかったため,
じっくり選んできました.

料理用の一般的な包丁の三徳包丁を無事ゲットできました.

また,今年リニューアルオープンした
フェザーミュージアムへも行ってきました.

フェザーミュージアム
フェザーミュージアム
中に入ると大きな剃刀が迎えてくれます!
Welcome ボード

巨大剃刀
フェザーは1932年に関安全剃刃製造合資会社として,現在の関市で誕生します.
日本で初めての安全剃刀の製造を開始しました.
1953年 フェザー安全剃刀株式会社に社名を変更

現在は安全剃刀と医療用刃物を手掛けるメーカーです.
ちなみに外科用メスは日本トップシェアを誇っています.
安全剃刀のイメージしかなかったのでびっくりです.

剃刀の製造工程

1.パワープレス
 金属板を替刃の形にパワープレスでくりぬき

2.焼き入れ
自動パワープレス機と焼き入れ用の機械

3.印刷
 油性のインクで文字を印刷
印刷の様子
手前が版

4.着色
 替刃を黒く染める

5.刃付け
 砥石で研いで刃物の面だし
砥石車

6.仕上げ
 研磨剤と皮車で研磨
研磨機

創業当時からの剃刀などの製品の展示がありましたが,
もう少し,フェザーならではの技術を紹介するような展示が欲しかったです.
内容はちょっとがっかり.

午前中は刃物祭りを回り,
親にディズニー・オン・クラッシックの名古屋公演に誘われていたため
実家へ.

16時頃に会場につきましたが行列ができていました.
結構人気でした.

コンサート自体は満足のいくものでしたが
会場のシートが悪く,後半は辛かったです.
個人的には悪いシートや見辛さがあった為,
すこし残念な評価です.

ディズニー行きたいな・・・.