2018年4月30日月曜日

18.04.29 丸山ダム

今回は岐阜県八百津町の丸山ダムへ。

瀬戸品野の道の駅から向かいました。

蘇水峡
蘇水峡
木曽川が作り出す峡谷としては最も下流に位置するそうです。
橋を渡った先にはダムに続くトンネルが。ワクワクしますね!
トンネル

 丸山ダムに到着。真正面から眺めることができます。

丸山ダム
丸山ダム
1956年に完成の重力式コンクリートダム
大型機械を導入するなど本格的近代ダム工法を使用した日本初のダムです。
ダム百選にも選ばれています。

残念ながらこのダムは2029年には上流に作られている新丸山ダムの完成と共に
沈んでしまうそうです。

ダムカードは現在のダムと新丸山ダムのイメージ図のものを貰いました。
ダムカード
ダムを後にし、昼食のダムカレーを目指します。
距離は短いけどこの区間の坂がキツイ!

何とか到着し丸山・新丸山コラボダムカレーを頂きました。

まずはごはんのみが盛られた状態で出てきます。
丸山・新丸山コラボダムカレー(ルーなし)

新丸山ダムのダム湖に食べ放題のルーを注ぎ、試験湛水!
丸山・新丸山コラボダムカレー(ルー投入(試験湛水))

トーストでできたゲートを開けて放流できます。

新丸山ダムの堤体を食べ終えると丸山ダムとしても楽しむことができます。
丸山・新丸山コラボダムカレー(丸山ダムver)
面白い工夫でいろいろな楽しみ方できました。
味は家庭的でおいしい中辛カレーでした。

昼食後は近くの杉原千畝記念館へ。

杉原千畝記念館
小さな記念館に海外のツアー客がたくさん。
注目の高さが伺えます。
杉原千畝記念館
杉原千畝を簡単に紹介。
1900年に 八百津町で生まれ、外務省に。
1940年リトアニアのカウナス日本領事館の領事代理の時に
ナチス・ドイツからの迫害を逃れてきた大勢のユダヤ人たちに
日本を通過するビザを発行し、6000人の命を救いました。
当時、日本の外務省からビザ発給の許可が出ておらず、
彼の「人道博愛精神」にしたがって決断されたものでした。

自分はこの人生で何人の人を救えるだろうかと思えてしまいます。

ちなみに一方でドイツのアイシュビッツ収容所などの強制収容所では数百万人が
亡くなっているといわれているので、その数からすると
救われたユダヤ人はほんの一握りであることが分かります。
本当に当時のドイツの政策の悲惨さを感じます。
シンボルモニュメント
160本の世界の国々をあらわすパイプでパイプオルガンをイメージし
平和を奏でるモニュメントとして「世界平和」をテーマに作成されました。
ビザモニュメント
「命のビザ」を重ね、希望の光を反射させながら空へ伸びていくモニュメントです。

ダムから下っていき、旧八百津発電所へ。

旧八百津発電所
旧八百津発電所

1941年(明治44年)完成した木曽川水系で最初の本格的発電所。
レンガ造でアーチ状の窓枠などヨーロッパ風建築が特徴。
大河川に建設された大規模発電所としては日本最古です。
重要文化財にも指定されています。

旧八百津発電所史料館
発電室
 水車は当初米国モルガン・スミス社製でしたが、ケーシングが破裂し
大正11年に東京電業社製の4200馬力のフランシス型水車になりました。

発電機は米国GE社製の横軸回転界磁型発電機に大正11年頃から
芝浦製作所(現 東芝)によりコイルを巻き直し、
7500kWから9600kWに増強されました。
左)トランス(変圧器) 右)旧落合発電所の励磁用発電装置
旧落合発電所で発電装置を補助する為に使用された励磁用発電装置で
昭和36年まで使用された後、八百津発電所に移され水力発電の研修に使用されました。
放水口発電所
低落差を利用した放水口発電所を付属しています。
電力需要増加に対応する為に発電所からの放水の落差を再利用して
発電を行う目的で建設されました。
建設当時(大正6年)、日本には低落差用水車の技術がなく
既存技術を応用しフランシス型水車を発電機の左右に8台繋げた連成水車を採用。
これは日立製作所の初期の製品で既存技術を改善し高度に利用する
日本の高い生産技術の特徴を示す典型例とされています。

さらに日本初の国産鉄塔による送電も行っており、鉄塔は川崎造船が製造しました。

発電所を後にし、川を下り今渡ダムへ
今渡ダム
残念ながらダムカードの配布はありませんでした。

少し暑かったですが気持ちよく走れました。
適度にアップダウンがあり、それなりにいいコースでした。

走行距離:100.2km
巡航速度:20.9km/h

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