2015年12月8日火曜日

15.12.05 トヨタ産業技術記念館

今週は名古屋市にあるトヨタ産業技術記念館へ
すごく楽しみにしていた場所でしたが,直前でカメラを忘れてきたことに気づきました.
携帯のカメラでぼけてしまった写真も多く,チョット残念・・・.

トヨタ産業技術記念館
ここはトヨタグループ発祥の地で
旧トヨタ紡織株式会社本社工場跡になります.
トヨタ産業技術記念館
やはり,赤レンガの建物はいいですね!

敷地内には1925年に建設された豊田紡織本社事務所を復元したトヨタグループ館や
豊田佐吉が自動織機と環状織機を発明・研究するために住居・研究室として使用した
豊田商会 事務所があります.

トヨタグループ館
トヨタグループ館
糸繰返機(1894)
糸枠の脱着が容易にできる発明

この発明で豊田商店を開業し,人力織機発明のための開発費を得たそうです.


豊田商会 事務所
1906年からは豊田式織機株式会社(現 豊和工業株式会社)の本社屋,
本店事務所としても使用されたそうです.
1994年に移転・修復
豊田商会 事務所
本館へ
入ると早速,ロボットがお出迎え.

ちょうど演奏開始時間でした.器用にバイオリンを弾いてくれました.

産業技術の発展の象徴として蒸気機関が展示されていました.
スルザーブラザーズ社(スイス,1898年)
出力500馬力,発電機出力286kVA

受付を通過すると,記念館のシンボル環状織機が展示されており実演されていました.

この環状織機は試作で終わってしまったそうです.
理由は自動停止装置が付けられなかったからだそうです。
縦糸が切れても横糸が切れても止まらないそうです.

回転運動している部分の内側をシャトル(横糸を通す装置)が回っています.

まずは記念館の概要.
1911年 豊田自動織布工場として設立
1924年 無停止杼換式豊田自動織機G型が完成
1926年 現在の刈谷市に豊田自動織機製作所を設立
1935年 自動車事業に進出
1937年 現在の豊田市にトヨタ自動車工業を設立
1944年 豊田自動織機製作所の栄生工場として紡織機や自動車部品の製作・開発を開始
1994年 豊田喜一郎生誕100周年を記念して産業技術記念館として開館

繊維機械館
繊維機械の歴史に沿って展示されています.


豊田佐吉の究極の発明とされる無停止杼換式豊田自動織機(G型)です.
無停止杼換式豊田自動織機(G型)
綿から糸を紡ぐ「糸紡ぎ」を実演していました.
綿の先端を捩って糸に絡ませ,伸ばすと糸ができます.
引きながら撚りをかけるとより細く,丈夫な糸ができます.
熟練の技術が必要そう.

1873年に臥雲辰致が綿花のかたまりから直接糸を作り出す精紡機「ガラ紡機」を発明
1931年頃にモータによる動力駆動のガラ紡機が普及
動力駆動のガラ紡機

海外の紡績機の紹介
①サクソニー紡車(15世紀末) ②ジェニー精紡機(1764年) ③ウォーターフレーム精紡機(1769年)
 サクソンー紡車は撚りかけと巻取りが同時に行えます。
 ジェニー精紡機で一人で複数の紡車を操作できるようになり生産性を大幅に向上
 ウォーターフレーム精紡機アークライト(英)が発明し動力に水車を利用しています。
 
 
 1775年 アークライト(英)が混打綿から精紡工程までの機械化に成功
 アークライトのカード
アークライトのカード
繊維を引きそろえる工程の機械化

 クロプトンのミュール精紡機
クロンプトンのミュール精紡機(1779年)
細く,ムラのない糸の量産化を実現
原綿から糸をまでの紡績一貫工程を機械化したものがでてきます.
紡績機
プラット社製の機械を基に開発された豊田自動織機製作所製
結構長い機械です.

機織り機
明治初期に西欧のフライシャトル機構を付加した織機「バッタン高機」が登場
バッタン高機
ちなみに柄物用に
小さな孔を開けたカードでたて糸を1本ずつ単独で動かす機構(ジャカード機構)で
自動的に紋様を織りだす巧妙な制御機構が付加された
ジャカード付き高機が普及します.
ジャカード付き高機

以降,豊田佐吉の発明を中心に.
1890年頃 バッタン高機より能率の高いものを豊田佐吉が発明
豊田式木製人力織機(1890年頃)
片手で織れるようになりました。

1896年 日本初の動力織機を発明
豊田式汽力織機(1896年)
日本初の動力織機。安価な木鉄混製で1人で3~4台運転可能になりました。

1903年 世界初の無停止杼換式自動織機を発明
豊田式鉄製自動織機(T式)
世界初の無停止杼換式自動織機

1906年 たて糸停止装置が装着
①豊田式三十九年式織機(1906年) ②豊田式小幅動力織機(I式)(1909年)
③豊田式鉄製広幅動力織機(L式)(1909年) ④二丁杼織機の樋交換装置(1910年)
⑤豊田式鉄製広幅動力織機(N式)(1914年) ⑥豊田式鉄製小幅動力織機(Y式)(1915年)

豊田式三十九年式織機は、たて糸切断自動停止装置・アンクル式送出装置を組み込み、
能率と織布品質が飛躍的に向上
豊田式小幅動力織機(I式)は、たて糸送出し装置により織物品質が向上
豊田式鉄製広幅動力織機(L式)は、広幅織物が安定して織れる様、全鉄製で強度を向上
豊田式鉄製広幅動力織機(N式)は、たて糸切断自動停止装置など多くの新機構を搭載
豊田式鉄製小幅動力織機(Y式)は幅の狭いゆかたやガーゼなどの生産で活躍

1924年 これらの発明を経て,当時世界最高の性能を持った
無停止杼換式豊田自動織機(G型)が完成.

豊田自動織機の製造
①構内重量物運搬車(1937年から2003年まで使用)
②織機フレーム用3軸同時中ぐり専用機
 G型の主要3本軸を受ける軸穴を高精度で加工するための専用工作機械
③当時の工場の様子

昭和初期には織物工場でG型自動織機の集団運転がされるようになります.
こんな感じ.
G型自動織機の集団運転
なんと1人で30~40台を運転していたそうです.
その後も改良が進み,
①豊田自動織機G3型(1959年) ②豊田自動織機GMT2型(1961年) ③スーパーローダー(1964年)
豊田自動織機G3型は、G型をベースに厚地が織れるように構造を強化
一台で薄地から厚地まで織れます。
豊田自動織機GMT2型は、国産初のタオル用自動織機
スーパーローダーは、自動的に横糸を補給する装置。省人化に大きく貢献しました。

この後,電子技術と機械技術を駆使したモデルを発表
豊田高速自動織機 GL10(SL)型(1984年)
有杼織機の最終型
少し戻って,1933年頃からシャトルによる騒音・振動を小さくするため
シャトルを使用しない無杼織機が出始めます.
(上)スルザーグリッパ織機(TW型)(1977年)
(下)豊田エアジェットルーム JAT710-D型(2003年)
更に,織物に使用される繊維も化学繊維など新しいものが使用されるようになります.
豊田ウォータジェット織機 LWT710型(2007年)
合成フィラメント織物を高速で生産可

電子技術やコンピュータ技術が発達し,複雑な柄も織れるように
豊田エアジェットルーム JAT710-J型(2006年)
複雑な柄を織るためにジャカード装置を搭載

最近では省エネモデルも登場しています.
豊田エアジェットルーム JAT810-E型(2013年)
よこ入れ装置の刷新で圧倒的な省エネ性能を実現
様々なタオルを高速で織ることが可能な汎用性を備えています。


このように見ていくと,自動織機の発明から100年以上たち
様々な技術が進化していることがよく分かりますね.


自動車館
繊維機械館を抜けると工具の展示と金属加工コーナーがあり
自動車館へと続いています.

まずはロボットがお出迎え

演奏はしません.

少し,自動車事業の歴史を紹介
1921年 豊田喜一郎は紡織技術の視察のために欧米へ
     そこで自動車の普及ぶりを目の当たりに
1925年 フォード社が日本で自動車の販売を開始
1926年 豊田自動織機製作所の設立
      自動車事業進出を想定した設備を導入
1927年 GM社が日本で自動車の販売を開始
1929年 プラット社からG型自動織機の特許権譲渡の依頼で二度目の欧米視察
1930年 紡機開発と研究の傍ら,ひそかに自動車の研究を開始
1933年 自動車部設立
1934年 豊田自動織機製作所構内に試作工場と材料試験室を設置

材料試験室
外国の自動車用材料の分析から各種材料試験を行っていたそうです.


当時の試験機
①左からブリネル硬さ試験機,ビッカース硬さ試験機 ②左からロックウェル硬度計,アイゾット衝撃試験機
③ねじり試験機 ④ライツ金属顕微鏡 ⑤ヤシマ金属顕微鏡

試作工場
試作工場
(上)A1型試作ボデーパネル製作の様子 
(下)ボデーパネル取付用治具と組付けられたA1型試作ボデー

当時は手叩きでボデーパネルを製作しており
ボデーパネルを治具に取付,溶接・塗装してボデーを製作していました。

ちなみに,豊田自動織機の構内でエンジンを造るために製鋼工場を作り
これが,現在の愛知製鋼株式会社になります.
材料試験室と試作工場は愛知製鋼株式会社の刈谷工場に残されていた建物を
移築・再現したものです.

エンジンの開発では鋳造に苦戦したそうで
「いやしくも自動車を造ろうというものが
鋳物の合格率を心配されるような哀れな状態では
自動車の製造を中止した方が良く
こんな鋳物位ができなければ豊田の恥だ」
と工場の社員を督励したそうです.

エンジン技術
今日までに出力,燃費,耐久性といった基本性能を向上
時代の要求に応えて,低公害化,低騒音化、小型軽量化,整備の容易化
が進んできました.
①A型エンジン(1935年)シボレーのエンジンを手本に開発したトヨタ初の自動車用エンジン
②S型エンジン(1947年)トヨタが独自に設計した最初のエンジン
③U型エンジン(1961年)トヨタ初の空冷水平対向エンジン 小型・軽量・低騒音・高性能が特徴
④D型エンジン(1957年)トヨタ最初のディーゼルエンジン
⑤2L-TE型エンジン(1982年)世界初の電子制御式ディーゼルエンジン 
 高性能・高耐久性・低騒音・低振動が特徴

トランスミッション技術
エンジン性能を効率よく車輪に伝える技術
マニュアルトランスミッション(MT)とオートマチックトランスミッション(AT)
2速 半自動トヨグライド(1959年)
日本初のトルクコンバータつきAT

ステアリング技術
軽い操舵力で,操縦安定性にすぐれた機構が求められており
電子制御車速感応パワーステアリングや4輪操舵機構(4WS)が開発
衝突時の運転者保護機構も発展

ブレーキシステム
安定して効くディスクブレーキ,ペダルを踏む力を助けるブレーキブースタ
急制動時でも車を安定して止めるABSなどが開発されています.

そのほかにも車の様々な機構・材料が進化しています.

カーオーディオの変化
右からプッシュ式選局方式の真空管ラジオ(1955)
自動選局機能つきトランジスタラジオ(1962年)
8トラックカーステレオ(1967年)
コンパクトカセットプレーヤ(1969年)


トヨタの代表的な車の紹介
トヨダスタンダードセダン AA型乗用車(1936年)
トヨタ初の乗用車

AA型内装
やはり,いい車ですね!
①トヨダトラックG1型(1935年)トヨタ初のトラック
②左からトヨエースSKB型トラック(1954年),トヨペットクラウン(1955年)
③フォークリフトLA型(1956年)トヨタ初のフォークリフト

 1960年代 乗用車の貿易自由化,購買力の増大や高速道路の開通で
      高速性能の優れたファミリーカーを市場へ投入
      新工場稼働による量産体制の確立と国際市場に対応できる商品開発
左からカローラ(1966年),セリカ(1970年)

 1970年代 交通事故や大気汚染が国内外で社会問題化
      安全性の向上,排ガス浄化,低燃費化などの技術に全力で取り組む
      アルミや樹脂などの軽い材料の採用が増え,
      軽くて剛性の高いボデー構造が誕生
左からコロナ(1973年),カムリ(1982年)

 1980年代 乗用車輸出の対米自主規制.海外現地生産など国際化の時代へ
左からセルシオ(1989年),レクサスSC430(2005年)
プリウス(1997年)

トヨタの提唱する車の姿「FUN TO DRIVE」
「運転者の意思に忠実に反応する車.最小の操作で安全・快適に走る」を
実現するために基本性能の向上や新しい技術開発に力を入れているそうです.

トヨタの生産技術
「トヨタ生産方式」
よい車を早く届けるためのトヨタ独自の効率的な「つくり方」.停滞をなくして「流れ」をつくる
「異常が発生したら機械が停止し,不良品を作り続けない」→自動化
各工程が必要なものだけを流れるように生産→ジャスト・イン・タイム

AA型の製造・組立工程
①注湯作業 ②鋳造の様子 ③フェンダーの加工
④ステアリングナックルの鋳造 小型鍛造機(ハンマ)による自由鍛造
⑤内装カバー作成 ⑥組付け ⑦塗装
エンジンシリンダブロックの鋳造からはじまり、
ステアリングナックルやフェンダーといった部品を作成しボデーを塗装。
内装を作成し、最後にこれらの部品を組み付けて、完成します。

部品加工では汎用機より効率的に加工するために様々な内製の加工機があります.
①トヨタ製NO.2H横フライス盤(1941年)
②FB12自動多刃旋盤(1954年)
③トヨタ製 E型旋盤(1941年)
④左からトヨタ製I型直立ボール盤(1941年)
 トヨタ製D型直立ボール盤(1937年)
当時必要以上に大型な万能旋盤が多かった為、用途別の旋盤を内製していたそうです。

当然ですが現在ではこのほとんどの工程は自動化されています.
①エンジンとシャシの自動組付け装置
②メインボデー増打ち自動溶接ライン
③ダンリー社製600トンプレス機

やはり,世界一の自動車メーカーはすごいですね.
情報量の多さで3時間近く滞在してしまいました.
時間を忘れて過ごせるいい場所です.

ついでにノリタケの森へ
クリスマスの装飾が施されていました.
クリスマスの装飾をした工場

以前に訪れた際に,行かなかった「クラフトセンター」と「ウェルカムセンター」へ
クラフトセンター
クラフトセンターは食器の生産工程とミュージアムでしたが
撮影禁止のため写真がないです.
ディナーセットは圧巻でした.

ノリタケの歴史を簡単に
1879年 森村市左衛門が東京銀座に貿易商社「森村組」を創業
1889年~1894年 パリやシカゴの万国博覧会で欧米の製陶技術を目の当たりに
         白色硬質陶器の製造を決意
1899年 森村組の名古屋店構内で白色硬質陶器の製造研究を開始
1904年 則武に「日本陶器合名会社(現 ノリタケカンパニーリミテド)」を設立
1914年 日本初のディナーセット完成
1917年 衛生陶器部門を分離し「東洋陶器株式会社(現 TOTO)」を設立
1919年 碍子部門を分離し「日本碍子株式会社」を設立
1936年 日本碍子からスパークプラグ部門を分離し「日本特殊陶業株式会社」を設立
1939年 工業用砥石の本格製造を開始
1967年 エレクトロニクス分野へ進出
1969年 産業用設備機器分野へ進出

工業機材事業
「削る」,「磨く」技術を応用した砥石,ダイヤモンド等の開発製造

セラミック・マテリアル事業
陶器製造の「混ぜる」「印刷する」技術を応用した電子やセラミック部品の開発製造
・食器用転写紙での印刷技術を応用した回路印刷技術
・セラミック製人工歯

エンジニアリング事業
陶器製造の「焼く」「混ぜる」技術を応用した装置の開発製造

食器メーカーのイメージが強かったですが,
永年培ってきた陶器製造技術を生かして新しい事業を開拓していました.

トヨタ産業技術記念館で長居したおかけで
後半はだいぶ駆け足で回りましたが,いい産業観光ができました.

走行距離:124.44km
平均速度:24.9km/h

豊田喜一郎の言葉を紹介
「この自動車が今日ここまでになるには
一技師の単なる道楽では出来ません.
幾多の人々の苦心研究と各方面の知識の集合と
長年月にわたる努力と幾多の失敗から
生まれ出たのであります」

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