2015年12月18日金曜日

15.12.11-13 長崎

11日から13日まで長崎へ.

1日目
朝の蒲郡は雨でしたが,出発する頃には雨も上がって気温はかなり高め.
名古屋を経由し,名古屋から新幹線で博多へ.

博多には昼頃到着.
途中下車をして昼食へ.
博多駅近くのうどん屋さんで「ごぼ天うどん」を頂きました.
肉ごぼううどん
麺はモチモチで汁も出汁がきいていて,とてもおいしかったです.

乗り換えの2時間を九州のお土産を見ながら博多駅をぶらり.

特急列車で長崎駅を目指します.
長崎駅には18時頃到着.

早速食事へ.名物のトルコライスを頂きました.
とても気さくなマスターで,いろいろとお話しをしてくれました.
トルコ風ライス
食事の後はホテルへ.
ホテルのチェックインを済ませて,夜の長崎の町を散策.

グラバー園近くの展望台から夜の長崎の町を一望できました.
長崎市の夜景(グラバースカイロードより)

大浦天主堂にもイルミネーションが施されていました.
大浦天主堂ライトアップ

海岸沿いの水辺の森公園から出島にかけてもライトアップされていました.
①水辺の森公園のライトアップ ②出島ワーフのライトアップ ③停泊船「でじま」
停泊している船などもとてもきれいでした.
水辺の森公園からの夜景
上 左端はジャイアントカンチレバークレーン 下 右端の長崎女神大橋

1日目は長時間の移動で疲れましたが,夜景でだいぶ癒されました.


2日目
ホテルで朝食を食べて,さっそく出発!

7月に世界遺産登録された「旧グラバー住宅」を見学に
「グラーバー園」へ.

グラバー園
園内の動く歩道で最上部へ
造船所の従業員が宿泊していた
旧三菱第2ドックハウスは耐震工事で残念ながら見れませんでした.
長崎造船所の錨(ストックレスアンカー)

旧長崎高商表門衛所
官立高等商業学校(現長崎大学経済学部)の表門の門衛所を移築復元したもの
旧長崎工商表門衛所

旧長崎地方裁判所長官舎
長崎地方裁判所長の官舎
旧長崎地方裁判所長官舎

旧ウォーカー住宅
旧ウォーカー住宅

イギリス人実業 ロバート・ネール・ウォーカーの次男の住宅
ロバートの兄(ウィルソン)は船長として,グラバー商会や日本郵船会社に勤務した後,
横浜でグラバーと共にジャパン・ブルワリー・カンパニー(麒麟麦酒の前身)を設立
支配人も務めています.
ロバートは1874年に来日し1876年から船長として三菱系列の会社や日本郵船で勤務
1904年に「バンザイ清涼飲料工場」を開業しジンジャーエールの大量生産に成功
1908年に会社を次男に譲りカナダに移住しました.
①内装 ②応接室 ③寝室 ④展望

自由亭
江戸時代末期,日本人シェフ(草野丈吉)による初の西洋料理店
自由亭

旧リンガー住宅(国指定重要文化財)
旧リンガー住宅
英国人商人フレデリック・リンガーの住宅
1864年頃に来日しグラバー商会に勤務
1868年にリンガー商会を設立し,貿易やホテル業など幅広い事業で活躍されたそうです.

旧オルト住宅(国指定重要文化財)
旧オルト住宅
ウィリアム オルトは1859年に来日し,貿易商として
製茶業を中心に事業家として活躍.
日本茶を世界に広めた立役者として知られています.

この住宅は石造りの洋風住宅の中では長崎市内で最も大きい住宅で
日本最古の石造り住宅
旧グラバー住宅を手掛けた小山秀が施工(設計はイギリス人)
活水女学校の校舎や米国領事館としても使用されたそうです.
①応接室 ②食堂 ③寝室 ④浴室(奥)

旧スチイル記念学校
旧スチイル記念学校
外国伝道局長スチイル博士が18才で亡くなった息子を記念するために
寄贈した資金で建てられた学校.

旧グラバー住宅(世界遺産)
旧グラバー住宅
トーマス・ブレーク・グラバーは1859年に来日し
武器や船舶の輸入や茶の輸出などの貿易商として活躍されました.
更に日本最古の蒸気機関を動力とした小菅修船場や
高島炭鉱での蒸気機関による石炭採掘の開発などに関わり
西洋技術を導入し日本の造船・石炭産業に貢献されました.

この住宅は建築当初はL字型の住宅でしたが数回の増築で
現在のクローバー型の住宅になっています.

日本の伝統的な建築とイギリスのコロニアル様式の融合した
日本最古の木造洋風建築
小山秀が施工
1貯蔵庫と馬小屋 2炊事場 3客用寝室 4大食堂
5応接室 6食堂 7温室
旧グラバー住宅

グラバー園その他
グラバー園 園内の日本庭園

ハートストーン
ハートの敷石に触ると恋がかなうとか

 長崎伝統芸能館
長崎伝統芸能館
上 伝統的な祭り「くんち」に関する展示
下 唐人船



グラバー園近くに売り物件が!
欲しいですね!
売り物件
1860年築,初代米国領事館員宿泊所(重要伝統的建築物)

次いで,大浦天主堂へ

大浦天主堂
大浦天主堂
前日のライトアップとはまた違った姿です.

1864年末に小山秀によって「フランス寺」として建築されたそうです.
当時は黒い壁に白いナマコ壁で,3本の尖塔があったそうです.
1879年に信者の増加に伴って増改築が行われ,現在の姿に.
1933年に国宝に指定
1947年から戦争の被害と老朽化による修復工事を経て
1953年に再度国宝指定されました.

大浦天主堂構内にある旧羅典神学校の校舎はド・ロ神父が設計
1874年キリシタン禁制が解かれて以降,多くの卒業生を輩出し
神父などとして全国で活躍されているそうです.
旧羅典神学校(国指定重要文化財)

旧羅典神学校 側面

本日の最大のイベントは同じく世界遺産に登録された「軍艦島」をめぐるクルーズ.
船を待つ間「軍艦島デジタルミュージアム」で予習.
当時の映像とデジタル再現された島の映像で歴史や特徴を知ることができました.

いよいよ,軍艦島クルーズへ

港を出発すると,まず三菱重工長崎造船所が見えてきます.
LNG船とジャイアントカンチレバークレーン
ジャイアントカンチレバークレーンはイギリスのアップルビー社が製造(1909年)
150トン近くの重量を吊り上げることができるそうです.
100年以上たった今でも現役です.
①三菱重工長崎造船所本館とLNG船 ②建造中の護衛艦
③建造中のイージス艦 ④建造中の高級旅客船

しばらく進むと海沿いに教会が見られます.
左) 神ノ島教会 右) 馬込教会

いよいよ端島(軍艦島)が見えてきました.
船のデッキに上って見させて頂けました.

端島(軍艦島)
軍艦島(西側)

西側からの眺めが軍艦に見えることから「軍艦島」と呼ばれているそうです.
端島小中学校

1958年に建設された端島小中学校
7階建てで,1階から4階が小学校,5階,7階が中学校,6階は講堂や図書館
アパート(社宅)群

いよいよ上陸
東側の「ドルフィン桟橋」から上陸.東側は主に採炭工場があった場所です.
貯炭ベルトコンベア(右)

総合事務所(左)と第二堅坑坑口桟橋跡(右)
第二堅坑は当時主力坑で,坑口桟橋の先には管理所があり
坑内での事故を防止するため,身体チェックをしていたそうです.
坑内ではガス爆発を防ぐため禁煙となっており,ここでたばこが没収されてしまうため
鉱員達は坑内に入る前に満足するまで煙草を吸ってから8時間の労働に就いたそうです.
この坑口にはエレベーターがついており秒速8mで600m近くまで降ろされて,
危険な採炭作業をしていたそうです.
このように常に危険と隣り合わせの鉱員たちは1日の仕事を安全に帰ってきて
安心して桟橋にかかる階段を下りたことから,
この階段は「命の階段」と呼ばれていたそうです.
鍛冶工場跡

工場跡

30号棟アパート
日本最古の鉄筋コンクリート造高層アパート

鉱員住宅の30号棟アパートは1916年に建てられた日本最古の
鉄筋コンクリート造の高層アパート.
このアパートを含めて,30棟近くのアパートがあるそうです。
最盛期には当時の東京都の人口密度の9倍に達し,
この小さな島に5300人が暮らしていたそうです.

エネルギーが石炭から石油に代わると出炭量が減少し
1974年1月に閉山,4月に無人島になりました.

わずか40年でここまで朽ち果ててしまうとは・・・.
現在でもところどころ風雨で崩れてしまっている様です.

この場所が日本の産業を支えていたと思うと大事に後世に残していきたいですね.

船は非常に揺れて若干酔いましたが,無事帰ってこれました.
天気にも恵まれてよかったです.

下船後,お昼ご飯へ.
長崎ちゃんぽん発祥のお店で,長崎ちゃんぽんと皿うどんを頂きました.
もちろん一人で全部食べたわけではないですよ.
四海楼

上) 皿うどん 下) ちゃんぽん
ちゃんぽんミュージアムもありました.
ちゃんぽんはまかない料理として考案されて,
皿うどんはちゃんぽんのバリエーションとして考案されたそうです.

食事後は市内をぶらり.
旧長崎税関下り松派出所(長崎市べっ甲ミュージアム)
旧長崎税関下り松派出所
鎖国時代,長崎港が唯一の外国との窓口となっていたため,
貿易港として税関が置かれていました.
下り松派出所は1898年に建設された煉瓦造り平屋建ての建物(国指定重要文化財)
平成14年から長崎市べっ甲工芸館として使用されています.

べっ甲は鎖国時代にオランダ・中国から伝わった技術を元に発展した伝統工芸品
「タイマイ」というカメの一種の甲羅から作られた飴色と黒褐色が特徴
上)べっ甲の施された電話機
下)べっ甲製の帆船

旧香港上海銀行 長崎支店
旧香港上海銀行 長崎支店(1896年設)

内装 カウンター

オランダ坂

オランダ坂
東山手洋館群
東山手洋館群

旧長崎英国領事館
旧長崎英国領事館
長崎市の洋館街を一通り巡ることができました.
車で次の目的地佐世保へ

ハウステンボス
17時から入園できるチケットで入園.
ハウステンボス

ウェルカムゲート

面白いモニュメントがありました.
①小人? ②アヒル 
③オオカミ 赤ずきんを食べてしまったらしい

だいぶ暗くなってきて,ライトアップがされ始めました.

アムステルダムシティ
アムステルダムシティ

タワーシティー
タワーシティ

ハーバータウン
夕食はロブスターを頂きました.
はじめて食べましたが,身がプリプリでおいしかったです.
レッドロブスター

アートガーデン
イルミネーションがきれいです.
アートガーデン 右下 光の滝

光の動物園だそうです.
光の動物園
イルミネーションに囲まれながら歩くのも気持ちいいですね.

スリラーシティー
スリラーシティー

アトラクションタウン
対岸側でやっているゲームの映像が3Dマッピングで建物に映されています.
アトラクションタウン 太鼓の達人

3Dイルミ バルーンストリート

フラワーロード
フラワーロード 風車
最近は洋風建築にハマっていたので
数時間,イルミネーションなどを見て歩いただけでしたが
外国に行ったみたいで十分楽しめました.

この日は近くのホテルで泊まりました.

3日目
佐世保市街地へ向かう前に寄道.

無窮洞
無窮洞
ハウステンボスから約4~5kmの場所にあります.
第二次世界大戦中に小学生たちが掘った防空壕.
当時,現在のハウステンボスの場所には軍事施設があったそうで
このあたりの地域はよく空襲にあっていたそうです.
1943年に当時の校長が防空壕の設置を発案し
1945年8月15日の終戦の日まで掘り続けられたそうです.
凝灰岩と呼ばれる比較的掘削向けの石質だそうです.
①教壇 ②奥 書類室 ③食糧庫 ④台所 かまど ⑤避難道 ⑥唐み
避難時でも授業ができるように教壇があります.
戦後も夏場の暑い日はここで授業をしていたそうです.
外に比べてここは2℃近く気温が低いそうです.

食糧庫の掘削中に終戦を迎えたため,未完成です.

避難道は防空壕のある山の裏側に続いているそうです.
襲撃直後は入り口に敵がいる可能性が高い為,裏山から外に出ることが目的だそうです.

避難時には600人の生徒が避難したため
酸欠を防ぐために入り口から空気を送り込む目的で唐みが設置されているそうです.
(交代で唐みを回していたそうです.)
避難道ができてからは空気の通り道が確保されたため,だいぶ楽になったそうです.

実に二年もの歳月をかけて掘られており,命を守るためとはいえ
小学生には重労働だったと思います.
また,600人がここで空襲が去るのを恐怖と息苦しさの中で堪えていたと思うと,
当時は本当につらかっただろうなと感じます.
戦争から70年たち,当時を知る人たちが少なくなっていく中
このような戦争の遺産を残していく必要性を感じますね.

佐世保市街地
市街地に入ると立派な教会がありました.
日曜日なのでミサの真っ最中.内部は見れませんでした.
カトリック 三浦町教会
佐世保駅 JR日本最西端駅
佐世保駅はJRの駅で最西端に位置するそうです.

駅を海側へ出ると港が広がっています.
海上保安庁 ちくご

クジラ漁が盛んだそうです.
クジラのモニュメント
旧鎮守府のため,海上自衛隊や米軍基地があります.
海上自衛隊基地
やっぱり昼は佐世保バーガー
佐世保バーガー
佐世保から佐賀駅まで車で送ってもらい
佐賀駅から博多を経由して新幹線で名古屋へ.
蒲郡に到着したのは21時頃でした.

長崎の世界遺産をはじめ,充実した旅行ができました.

0 件のコメント:

コメントを投稿