2015年12月4日金曜日

15.11.28 磐田

ヤマハ発動機の企業博物館へ行くため,磐田市へ

お昼頃に磐田に到着したため,早速昼食.
磐田市の郷土料,豚足を煮た「おもろ」を使ったカレーを頂きました.
おもろカレー
野菜がたくさん入っており,どの野菜もとてもおいしかったです.
量は少なく物足りませんでしたが・・・.

こちらはヤマハ発動機の本社
ヤマハ発動機本社

ヤマハコミュニケーションプラザ
ヤマハコミュニケーションプラザ

1F:ヤマハ発動機のシンボル的な製品,製品,シミュレータなどが展示されています.
左から YB-1,YZF-R1
中央右 SC-1(ヤマハ初のスクーター)
中央左 PAS PA26-A(世界初の電動アシスト付き自転車)
右からSR Viper RTXLE,SL350(市販スノーモビール第一号),
船外機FT9.9LWHX,P-7(船外機第一号)
ヤマハグランドピアノ

今年の東京モーターショー特別展示車や12月まで公開されているOX99-11
左 OX99-11,
右 SPORTS RIDE CONCEPT(2015年東京モーターショー特別出展車)

二輪車(モーターサイクル)
ヤマハ発動機の端緒を開いた主軸製品.
レースへのチャレンジで培った技術やノウハウを活かしたもの創りが特徴.
二輪車

モトクロスバイクや
左 YZ450FM、右 TYS250F

レース用バイク
右 YZF-R1

白バイまで

様々なバイクがあります.

マリン製品
モーターサイクルのエンジン技術を応用した船外機
FRP(ガラス繊維強化プラスチック)の研究開発から生まれた船艇
①Wave Runner FZS/FZR SVHO ②フィッシングボート SR-XF115 ③ボート STRIPE-18SP

ビークル&ソリューション製品
二輪やマリン製品で培った技術やノウハウで事業拡大を行った製品分野

ROV(Recreational Off-highway Vehicle)
 農業や酪農,レクリエーションからファンライドまで
 幅広く使えるオフロードビークル.
①Wolverine YXE70E(2015) ②Grizzly YFM706PSG(2016) 
③VIKING VI YXC700E ④ゴルフカート G30AS(2015)
電動車いす,電動アシスト自転車

表面実装機 Z:LEX YSM20
 こんな感じの実装基板が出来上がります.


発電機
小型発電機

無人ヘリコプタ
FAZER L30
国内の水稲作付面積の約1/3を無人ヘリコプターの農薬散布が担っているそうです.
災害時の調査や観測にも使用されているそうです.

ゴーカート?

など様々な製品があります.

次世代の乗り物として
01GEN
オンロードからオフロードまで様々な地形を走破できるパーソナルビークルや

新しい車いすも
02GEN
提案されています.

こちらの電動車いすは電動アシスト自転車の技術をベースに開発されており
座った姿勢の美しさと人と車いすの一体感にこだわったデザインだそうです.
車いすのイメージが変わりますね.

これだけ多くの製品を作るとはさすがです.
いろいろと興味が沸きます.

2F:ヤマハ発動機の歴史の展示,図書コーナー
ヤマハ発動機の歴史を簡単に.
第二次世界大戦中,前身の日本楽器製造(現 ヤマハ)では航空機の用の
プロペラを製造しており,戦後これらの技術や機械を活かすため新たな事業へ挑戦しました.
1954年8月に2サイクルエンジンの試作第一号車が完成
1955年1月に第一号機の「ヤマハオートバイ125 YA-1」が完成
1955年2月に国内販売を開始
1955年7月に日本楽器製造から分離し「ヤマハ発動機と」して創立されました.
ヤマハオートバイ125 YA-1
当時世界最大のオートバイメーカーの西ドイツDKW社のRT125を手本としながら
「モデル車をしのぐ製品を」という思いから3段変速に対し4段変速を採用.

時代に先駆けたインダストリアルデザインと栗毛色の車体とクリーム色のタンクが
特徴的なオートバイを発売.
塗装は永年ピアノの仕上げに携わった熟練工が仕上げたそうです.
特徴的な色から「赤トンボ」の愛称が付けられました.
YA-1の宣伝旗
ヤマハのシンボルマークの音叉.音叉を3本組み合わせたマーク.
3本の音叉は「製造」,「販売」,「技術」の連携によってたくましく
世界へ羽ばたこう.という意味が込められています.

現在ではお客様の期待を超える「価値の創造」,社会的な「責任の遂行」,
仕事をする自分に誇りがもてる「企業風土の充実」という
三つの経営理念を現しているそうです.

ちなみにオートバイのホイールをイメージさせるマークでもあるそうです.

G2B(グランドピアノ)
YA-1と同時期に日本楽器製造から発売されたグランドピアノ.
当時は珍しいデザイン性に優れたピアノです.
写真では分かりにくいですが,木目調になっており暖かみのあるデザインだと思います.
黒いピアノが普通だった当時,珍しいデザインだったと思います.
ヤマハオートバイ250 YD-1 (1957)
ヤマハ発動機創立3年目にして初のオリジナルモデル
今度こそはヤマハオリジナルをという思いで開発されたそうです.
日本人の体格に合わせたコンパクトで乗りやすいサイズ,
躍動感あふれるダイナミックデザイン,
ヤマハ初の2気筒エンジンが特徴.
オートバイを実用車のイメージからスポーツとしてのイメージを定着させたモデル.

ヤマハ発動機では「世界に通用しないものは商品ではない」,「やるからには最高のものを」
という意識があり,品質と性能へのこだわりを実証するために
国内外様々なレースに挑戦しています.

初の海外レース「カタリナGP(アメリカ)」で6位入賞したことで"YAMAHA"の名を
全米に知らしめ,グローバル活動の第一歩を踏み出すきっかけになったそうです.
左からYZF-750
1988年,1989年の二年連続で
鈴鹿8時間耐久レースを制した

二輪
上 歴代レースマシン 下 歴代モトクロスマシン

マリン製品
1960年代からモーターサイクルやレースへの挑戦により技術革新を図り
船外機やFRPボートへ事業を拡大
上 FIFLEX-11(1963) 下CAT-14(1962)
CAT-14(1962)は1960年国産初量産型FRPボートで
カタマラン(双胴)タイプの4人乗りボート。
観光遊覧からレースまで幅広く活躍しました。

1974年更なる事業拡大でゴルフカー,除雪機,プルーなどへ
上 G1-AM(1984) 下 YT-665(1979)
G1-AMはヤマハゴルフカーを世界的な製品にしたモデル。
YT-665はヤマハ除雪機第一号モデル

1983年海外生産へシフトし更なる多軸化へ
①左からSSR440(1978)氷上ボートレース用市販レーシングマシン
 RC100M(1975)初代ヤマハレーシングカート「レッドアロー(RC100)」の後継モデル
②左からCushionBike20(1976) YAMAHA PAS PA26-A(1993)世界初の電動アシスト自転車
 YFM200DX(1987)ヤマハ初の四輪ATV
③無人ヘリコプター RMAX  Type HG(2003)

モーターレース
上 JORDAN・YAMAHA192(1992)
下 搭載エンジン OX99 DOHC-5バルブ,70度V型12気筒エンジン

3Fはカフェとなっています.

バイクや船に関わることがなかったので,
ヤマハ発動機の名前は聞いたことがあっても
どのようなことを行っているかは詳しく知りませんでした.

優れた技術をもって幅広い分野で活躍していることが分かりました.

次いで,磐田市内をぶらり.

ヤマハ発動機本社のすぐ隣.
ジュビロ磐田とラグビーのヤマハ発動機ジュビロのホームスタジアム
ヤマハスタジアム
ヤマハスタジアム
ジュビロ磐田J1復帰おめでとうございます!(特にファンではないですが・・・)

旧見附学校
明治8年に開校した学校
旧見付学校
元は木造擬洋風2階建ての建物でしたが
8年後の明治16年には3階部分が増築されました.
大正11年に校舎としての役目を終了しています.
その後は,病院や郷土館として使用されてきましたが
復元工事を経て平成4年に現在の姿になったそうです.

1階
当時の教室
当時の教室が再現されています.
当時は石板に石筆で文字を書いて学んでいたそうです.

床は意匠を重視し斜めに床板が敷かれています.
当時建築された洋風建築の意匠を真似ているそうです.

窓は壁に仕込まれた重石と滑車を介して吊るされており
窓枠に沿ってスムーズに開け閉めできる様に工夫されています.
四つ丸型時計
100年近く使用されている時計も現役で動いていました.

2階
当時の学校で使用されていたものが展示されています.
①三角定規 ②現投機と木琴 ③理科の実験器具 ④当時は貴重だった計算機
 ⑤謄写版印刷機 ⑥ニュートン氏七色板(色の混色実験装置)

3階
郷土館の一部が残されています.
増築で作られているため,他の階に比べて天井が低くなっています.
3階
4階
当時の校長室だそうです.
4階

5階
時報を鳴らす太鼓が置かれていたそうです.
5階

磐田文庫
元治元年(1864年)に設立された私設図書館
井楼造り(井桁に組んで重ねた構造)の建物
磐田文庫

旧赤松家
幕末から明治にかけて活躍された,赤松則良の邸宅跡
赤レンガが特徴的な門・門番所は県指定文化財
米蔵と図書蔵は市指定文化財に指定されています.

赤松則良は勝海舟が船長を務める咸臨丸でアメリカへ渡り
帰国後はオランダへ留学し造船技術や海軍について学んだそうです.
帰国後は明治政府の下で働き,男爵を授与され海軍中将になりました.
その後は貴族院議員を務め,大正9年に亡くなりました.

門 裏側 右側が門番所,左側が共待
門番所:門を出入りする客を見張ったり,案内したりする人の居場所
共待:来客のお供が待ったり,駕籠人や車夫が待機する場所
①土蔵 ②水屋(食器の洗い場) ③内蔵 ④貯蔵庫

今回訪れた施設はどれも無料公開されているものでした.
無料にしては非常に見応えのあるものばかりでした.

走行距離:172.19km
平均速度:23km/h

食事もおいしく,見学も満足にでき,充実した一日でした.
ただ,帰りの向かい風はホントにツライ・・・.

最後に一言紹介
ヤマハ発動機初代社長(日本楽器製造(現ヤマハ)四代目社長)
川上源一氏の座右の銘
「居安思危」 安きに居りて危うきを思う
絶えず危機に対して対処する心構えから「絶えざる自己革新」を説いたものとして
ヤマハ発動機の原点を象徴する言葉だそうです.

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